短歌が添えられた友人からの最後の手紙

年賀状を自ら書かなくなって5年ほど経過した時に、高校時代の同級生から突然年賀状が届きました。高校卒業から既に10年以上経過していたので、現在の住所ではなく実家に届いたわけですが、確かに高校時代は同じ吹奏楽部に所属していて仲が良かったことを思い出しました。

弟からのメールで年賀状が届いていると連絡が来たわけですが、実際に年賀状を確認出来たのはゴールデンウィークに帰省した時です。

懐かしく思い、卒業アルバムを引っ張り出して届いている年賀状の住所と照らし合わせてみると、旧友の住所に変わりないことを確認して地元に残っている友人経由で近況を確認すると、既に年賀状をくれた旧友は他界していることが判明したわけです。

既に結婚していて家族がいたことも驚きましたが、今まで年賀状が届いていなかったにも関わらず急に届いた理由として、最後の年賀状だったからだとその時に知ることになりました。年賀状が届いた3ヶ月後に脳腫瘍により他界するに至ったわけですが、他界する前に会いに行けなかったことが悔やまれました。

そこで、旧友の家を知る友人と共に訪れると、確かに既に他界している事実がそこにはありました。初めて会う旧友の妻は、実家に帰らず子供と共に同居を続けており、年賀状を出した時の様子を聞けました。

年賀状の文面には、短歌が記されていたので、一度手術を受けたリハビリとして毎日短歌を考えて年賀状として出すことにしていたと知りました。1枚の年賀状は、特別写真がカラフルに印刷されているわけでもなくシンプルなものですが、暫く途絶えていた年賀状が届いた時には虫の知らせであったり、予兆が含まれていると考えて近況を確認することも大切だと実感したわけです。

ネット上の事務的な取引に添える手書きの手紙

普段文章のやり取りといえば専らメールですから、めっきり手紙でやり取りする機会は減ってしまいました。

私は通信販売を利用して自分で手作りしたものを売ってお小遣い稼ぎをしているのですが、商品に添える書類に関しても明細書や機械的なお礼の文章を全てパソコンで作成して添えるのみです。事務的な内容だけで余計なことは書きませんし、住所に関してもやはりパソコンで入力したものを出力して貼り付けるのみで、手書きの文字を他人に見てもらうことすらありません。

ですが、そうした個人的な通販のやり取りでは、手書きの手紙を添えられるのが嬉しいという意見が多いことを知りました。

商品さえ問題なく送ることができればいいと思っていたので、最初はそういうものかと流してしまっていたのですが、なるほど確かに機械的な文章ではなく手書きの手紙が入っていれば、思わず文字に目を通してしまうのかもしれない、一理あるとも思うようになったのです。

いつもは送る側ですが、たまたま買い手側に回って商品を購入した際に可愛いメッセージカードにお礼の一言が書いてあり、心遣いに嬉しくなる気持ちがよくわかりました。それ以来、自分でも真似して明細書にプラスして手書きメッセージを加えるようにしています。

手紙を添える分事務処理に手間がかかってしまうのですが、不思議なもので商品を送る時にお客様が喜んでもらえるように、心を込めて梱包しようという気持ちが強くなりました。手紙には特に変わったことは書いていないのですが、開封した人の目にこの文字が読まれて、少しでも好印象を持ってもらえれば嬉しいなという思いで続けていますし、手書きの手紙があるだけで物を送る側と届けられる側のやり取りが、人と人との間で行われているものだということが強調されるようにも感じます。

手紙を添え始めてから、以前よりも相手のことを考えて取引ができるようになったのは、気のせいではないと思います。

偉大であり、大切な手紙コミュニケーション

私は、新卒で入社した会社で4年近く働いていました。

しかし、毎日働いている中で限界を感じるようになりました。様々な利害関係人が出てくる中、会社と顧客の間に挟まれて慌ただしく仕事をする繰り返しに疲れてしまいました。結果として、会社を辞めてしばらくゆっくりしようと決意しました。

会社を退職する手続きを終え、実家に帰り、お世話になった人たちに手紙を書きました。

勤務先で私を育ててくれた元上司には感謝の念としっかりと書き記しました。
また、勤務先でできた友人に対しては、退職後も変わらずに付き合ってほしい旨、書きました。

数日後、自宅の郵便ボックスに手紙が届いていました。元上司と友人からの手紙でした。

元上司からは、労いの言葉が記されており、一緒に仕事をしていた当時の思い出が書かれていました。
読めば読むほど、元上司に育ててもらえた結果、長い間仕事を続けられたのだと実感しました。元上司は定年退職が迫っており、定年退職時には再び手紙を書いて交流しようと思うようになりました。

一方、友人たちからは一緒に働けなくなる寂しさを文書から感じ取れました。新入社員の頃から一緒に苦楽を共にしてきた仲間であり、文書を読めば読むほど、感謝の想いがこみ上げてきました。

会社では辛いことの方が圧倒的に多かったですが、その代わりに大切な友人を形成することができた点は、最高の贈り物だと思えました。
定期的に連絡をし、今後も交流していくことになり、人と人の繋がりは大切だと思えるようになりました。

手紙を介して各々の想いを交換し合うことは、インターネットでは実現できない、人との結びつきを強くする力があると思いました。手紙でコミュニケーションをする文化は、偉大であり大切なものです。

妹からの笑える嬉しい転居知らせの手紙

普通に仲はよかったのですが、必要以上にべたべたせずに一定に距離感を保っていた妹が一人暮らしを始めることになり、私が仕事で忙しくしているうちに準備を済ませてあっという間に家から出て行ってしまいました。

それほど離れていないところに住んでいることは知っていたのですが、そういえば詳しい住所を聞いていなかったなと思ったのは、妹が実家を去ってから数週間後のことです。

もちろん両親把握していますから特に何の問題もなかったのですが、妹のほうも私に何も言っていなかったことに気がついたのか、一ヶ月ほど経ってから私宛に転居知らせの手紙を送ってきてくれたのには笑ってしまいました。

何故改まって「です」とか、そもそも両親が知っているのだから必要な時には彼らに聞けばいいと思っていましたし、妹もそれは重々承知していたのでしょう。住所を知らせるだけならお互いに電話番号もメールアドレスも知っているのでそちらで知らせてくれるだけでよかったのに、わざわざ手紙で転居知らせを送ってきたのは彼女なりのシャレのつもりだったのかもしれません。

身内から改まった口調で書かれている手紙をもらうという機会はなかなかなく、何だかくすぐったくなりました。

ただ、嬉しいことには変わりなかったので、彼女がわざわざ手紙で書いて知らせてくれた住所を活かして、タイミングを失って贈る機会を失っていた転居祝いを宅配で送ろうと決めました。ただ荷物を送るだけなら味気ないのでプレゼントに添えようと思った手紙に何を書こうか考えましたが、いざとなるとあまり言葉が浮かばないものです。

結局妹が転居の知らせに添えてくれたように、畏まったそっけない言葉しか書くことができませんでしたが、彼女もこんな心境だったのかなと思うとちょっとおかしくなりました。

まだ会ったことのない少女からの結婚報告

ここ数年、ネパールの方と手紙での交流を続けています。

昔同じアパートにネパールの方が住んでいて、親戚が日本が好きで日本語を覚えているので文通してあげてほしいということでした。

数年手紙のやり取りを続けているのですが、まだ少女だった子から結婚することになったという報告の手紙が届いたのです。これはなかなか衝撃でした。よく写真を同封してくれるのですが、本当にあどけない感じの女の子でしたから。

今もまだ幼い雰囲気が残っている彼女が結婚するなんて…日本とネパールでは文化も環境も違います。特に珍しいことではないのでしょうが、数年やり取りを続けてきた相手です。何だか不思議な感覚でした。

手紙の中には結婚相手のことが書かれていました。彼も日本の文化が好きらしく、インドに行ってカレー屋で修行をしているそうです。いずれは日本のビザが欲しいと奮闘していて、日本好きというところで話が合って結婚することになったそうです。個人的には、恋愛結婚だということでホッとしました。

年齢は彼女より7つ年上ですが、可愛いところもある人だと書いてありました。こういう恋愛の話が書いてあると、何だか手紙自体がすごくキラキラしているように感じます。

今後、彼女は彼の実家で生活するそうです。インドからすぐ近いので、彼は定期的にネパールに帰ってくるそう。自分の実家も目の前ですし彼の家族とも仲良くやれているらしく何だかホッとしてしまいました。

私は彼女に会ったことはありません。

昔お隣さんだった人は今も日本に住んでいて時々ネパールに帰りますのでその時お土産を渡したり逆にもらったりするくらい。本当に手紙だけのやり取りなのですが、やはりこういう人生の節目を報告する手紙というのはすごく嬉しいですね。

男友達からの丁寧な2枚の手紙

普通に友人として付き合っていた彼から貰った手紙です。

異性として特別な感情がなく、それでも一緒に買い物に行ったり、食事に行ったりして、私にとっては親友のような感じ人でした。

その彼から、メールではなく、直接貰った手紙に私は感動してしまいました。

その日は、いつものようにお茶をしにいって、上司の愚痴などを聞いてもらっていました。そして、いつものように別れる時に、そっと手紙を渡してくれたのです。

その彼の行動にビックリした私は、なんだか嬉しい気持ちと、どんなことが書いてあるのだろうと、ドキドキしました。

そして家に持ち帰り、早速封を開けてみると、とてもキレイな字で、手紙が2枚書かれていました。

改めて彼の字を見ると、彼の心の温かさと私に対する気持ちが物凄く伝わり、なんだか感動で気持ちが一杯です。

メールとは全く違う感覚を発見し、彼がとても素敵に感じました。

そして、その手紙には、私への気持ちが書かれていて、私は読んでいる途中から、嬉し涙で、続きを読むことができなくなってしまったくらい感動しました。

昔から、友達でいてくれてありがとう、大切な君へ、というタイトルから、今までの思い出、その当時に思っていたことや、本当はこんな思いだった、という内容が素直に書かれており、懐かしさと、新しい発見、彼の気持ちを深く知ることができて、本当に嬉しかったです。

そして、最後には、これからは、僕が君を守るので、付き合ってください、と書いてあり、私は嬉しくて、幸せで、もう涙でぐしゃぐしゃだった事、忘れられません。

その手紙を読んだ直後、私はすぐに彼に電話をして、直接OKの返事を涙声で言い、私の声を聞いた彼は、ちょっと照れくさそうでしたが、とても嬉しそうで、優しい声で話してくれました。

やはり、手紙は感動します。

もし、彼が手紙ではなく、メールにての告白だったら、私はこんなに感動することなく、彼を異性としてこんなに好きになれなかったかもしれません。

手紙を一生懸命書いてくれた彼、本当にカッコイイです。

手紙は今の時代でも、書いた人の気持ちがストレートに心に繋がる大切な言葉の伝え方だと思います。

誕生日にはメールよりもLINEよりも手紙がいい

ネットの発達とスマホの普及によって恋人や友人にメッセージを送る時もメールやLINEを利用するのが主流になってきています。

それで手紙を書く事がほとんどなくなってきているので少し寂しくなってきた気もしますが、1週間前に恋人から珍しくバースデーカードを受け取る事が出来ました。

今まで誕生日の時はメールやLINEでお祝いメッセージをもらっていたのでどうしたのかなと思いましたが、実際にバースデーカードを受け取ってみるとすごくいいものだと感じました。

そこで私が恋人からバースデーカードを受け取った時にすごくいいものだと感じた点を挙げていきましょう。

・文字が可愛らしくて女性らしさを感じる事が出来た。

メールやLINEで誕生日のお祝いメッセージをもらっていた時は絵文字やスタンプなどを使ってくれて工夫してくれましたが、文字がデジタルなので女性らしさというものはあまり感じませんでした。しかしバースデーカードが恋人の手書きなので文字が丸くなっているなど可愛らしくて女性らしさを感じました。それにより恋人が書いてくれたバーステーカードと分かるのでいいものだと感じました。

・バースデーカードからいい香りをしてきた

バースデーカードは実際に恋人が書いていますが、香水を付けてくれたみたいで受け取った時にすごくいい香りがしました。恋人が普段から付けている香水をバースデーカードにも付けてくれたみたいで実際に恋人と一緒にいるような感じもしました。メールやLINEで誕生日のお祝いメッセージをしてくれる時はいい香りがする事はまずないのでバースデカードを受け取っていいものだと感じた点でした。

IT社会になってきて手紙などアナログ的なものが徐々になくなってきている中で久しぶりにバースデーカードを受け取ってみると昔の良さをすごく感じたので今後も恋人からバースデーカードを受け取りたいと思いました。

大学の頃の友達からの手紙の一行

今までもらった手紙の中で思い出深いのは、友人からもらったものです。

大学で仲良くしていた、女友達でした。

同じ学科を選んだことで出会った私とその友達…Iちゃん。

音楽の趣味がよく似ていて、CDを貸し借りしたり、行ったライブの話をしたりするのが楽しみでした。

ときには一緒にカラオケに行って、ハモったりハモられたりしながら歌ったのもとてもいい思い出です。

大学4年のゴールデンウィークに入るときでした。

「最近、なんかあんまり食欲がないんだよね。実家に帰ってのんびりしてくるわ」

Iちゃんはそう言って帰省しました。

大学は茨城にあり、彼女の実家は北海道です。

「そっか、たまにはゆっくりしてきたらいいよ」

私もそう答えて送り出しました。

長い休みが終わったらまた会えると思っていたのですが、Iちゃんはそのまま入院することになりました。

検査の結果があまり思わしくなかったそうです。

「ちょっと休んだらまた戻るから、遊んでね」

まだメールなどもそう発達していなかったころに、近況を伝えてくれた手紙には、そうありました。

それから私とIちゃんの間を、何通もの手紙が行ったり来たりしました。

それ以上のやり取りができないことがわかったのは、11月のある日でした。

同じく親しくしていた友人から電話がありました。

「落ち着いて聞いてね。Iちゃんが亡くなったの」

頭が真っ白になりました。スキルス性の胃がんだったそうです。

初めて飛行機に乗って、お通夜とお葬式に参加しましたが、正直、何がなんだかよくわかっていませんでした。

家に戻り、ふと開いた、Iちゃんからの最後の手紙。ラストの文章は、こうでした。

「体には十分気を付けて、元気でね!」

どんな思いで書いた1行だったんだろう…涙が止まりませんでした。

今でも、天国から手紙が届かないかな、なんて、ときどき思ったりします。

好きだった男の子からの私宛ての手紙

私がまだ小学生の頃の話です。

小学生の頃、同じクラスにとても好きな男の子がいました。

とてもスポーツ万能な子で、足がとっても速く、いつもリレーの選手をしていました。やんちゃながらもすごく優しい子で、そんな彼に憧れを持っていました。

そんな彼に密かに恋心を持っていたのですが、彼が引っ越しをすることになり、違う小学校に転校することを知りました。

小さいながらにとても動揺して、心が傷ついたことを今でも覚えています。

彼が新しい街に引っ越して行って約1ヶ月経過した頃、彼から私宛に手紙が届きました。

新しい小学校で新しい友達が出来たこと、新しい街でもスポーツを続けていること、元気に過ごしていますか、という内容が主でした。

彼がどの街に引っ越していったのか全く知らなかったので、その手紙を受け取って同じ県内に引っ越したことを知りましたし、彼が元気に過ごしていることを知ってすごく安心しましたし、何よりも私宛に手紙を書いてくれたことが本当にうれしかったです。

また、その手紙を受け取って「もしかしたら彼も私のことを好いていてくれたのかもしれない」とも思いました。

もしかしたら私の考えすぎなのかもしれませんが、普段から特に私に対してそういった態度を取っていなかったので私の一方通行の想いだと思っていたのですが、突然すごく長い文面の手紙が来たので、瞬間的にそう思いました。

本来であればその手紙に対して何らかのアクションを取るべきだったと思います。手紙の返信を書くとか、年賀状を送るとか。

ですが、「彼も私と同じ気持ちなのかもしれない」と思うと、なぜでしょうかとても恥ずかしく感じて返信を書くことが出来なかったんです。

それは今でも本当に後悔しています。

「新しい学校でも頑張ってね」とか「私も元気にしています」とか普通の内容で良かったはずなのに、それがどうしても恥ずかしくて出来なかったんです。

男の子に手紙を書く時にどういう内容を書いたら良いのか、どこに切手を貼るのか、だとかお母さんに相談するのもすごく恥ずかしかったんです。

その子からもらった手紙は今でも実家に大切に保管しています。その手紙を見るたびになんだか胸の奥がチクチクして、その当時の自分にもし会えたら「とりあえず元気にしてるってことだけでも返信しなさい」と言いたい気持ちになります。

弟夫婦から届いた初めての年賀状

私には弟がいるのですが、その弟が結婚して初めてのお正月に弟夫婦から年賀状が届きました。

この頃には私自身ももう結婚しており、実家を出ていたのですが、その一年前のお正月にはまだ独身だった弟からの年賀状などもちろん届いていません。
その次の年には不幸があり、喪中のために年賀状は無し。喪中印刷を比較してから注文した記憶があります。(参考:喪中印刷の比較
翌年には夫婦の名前で年賀状が届き、ああ、弟も家庭を持ったんだなとあらためて感じたものです。

そしてこの年賀状には新年のあいさつとともに私たち夫婦の一年の健康を願う言葉などがしたためられており、そこには「お義姉さん」と私のことが書かれていたのです。

もちろん私は長女なので弟の結婚相手は義妹にあたるわけですから、お義姉さんで何もおかしくありません。
ですがなんとなく照れくさいようなくすぐったいような気持ちになりました。

何しろ弟は姉ちゃんや姉貴と呼ぶことはあっても、お姉さんと呼ぶことなどありませんでしたから、そんな呼ばれ方をしたことなどめったにありません。

それが義理の妹が出来た途端、そう呼ばれるようになったわけですから、照れくささ半分嬉しさ半分といった感じでした。

ですがもちろん義理の妹が書いたであろう心のこもった年賀状で嬉しくないわけがありません。これで私にも可愛い義妹が出来たんだと弟の結婚式の時以上にそう実感し、それから数年経った今でもこの時の年賀状は大切に仕舞ってあります。
その後も毎年年賀状を送ってくれるのですが、やはり弟が夫婦になって初めての年賀状というのは格別感慨深いものがありました。今でこそ義理の妹からお義姉さんと呼ばれることにも慣れましたし、嫌な小姑にならないよう気を付けつつ仲良くしていますが、いまだに弟たちが結婚して初めて受け取った年賀状のことを思い出すと照れくささもまたよみがえってくる私なのでした。