遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取り

手紙で一番思い出深いのが遠距離恋愛していた20代中盤の頃のことです。

当時は今のように携帯電話やパソコンなんてない時代です。

遠く離れた彼氏と連絡を取るには固定電話か手紙しかありませんでした。

最初は電話中心で連絡を取り合っていたのですが、電話代が1ヶ月分の給料並みにかさんでしまって、控えるようにしました。

その代わりに手紙を書くようになり、最低でも週に2、3回は手紙を書いてはせっせと送っていました。

手紙を書くようになった頃はラブレターのような相手に対する好きだという気持ちや、早く会いたいとかそばにいなくて寂しいなどというロマンチックな内容でした。

しかし、さすがに週に2回も3回も手紙を書いていると、ラブレター的な内容だけでは書くネタに困るようになってきます。

だんだんと日常のことや近況報告を盛り込むようになり、時には恋のポエムなんかも書いていたのを思い出します。

今思えばよくあんな小っ恥ずかしい手紙を何通も出していたなと、穴があったら入りたくなるような気持ちです。

ただ、相手に対する気持ちを手紙に込めたいという思いは強かったです。

電話での会話が減った分、自分の気持ちをしっかりと手紙で伝えたいと思っていつも手紙を書いていました。

その反面、あまり気持ちを押し付けると彼氏に負担をかけるのではないかとか、手紙1通書くのでも頭を悩ませていたのを思い出します。

残念ながら、遠距離恋愛の彼氏とはハッピーエンドを迎えられませんでしたが、手紙に気持ちを込めて書くという手紙の大切さを一番感じていました。

今はメールなどが普及してめっきり手紙を書く機会は減りましたが、たまに届く友達や親類からの手紙には温かみを感じてうれしくなります。

そんな手紙の良さを知ったのも遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取りがあったおかげだと思っています。

修学旅行先からの家族へのそっけない他人行儀な手紙

小学校六年生のときに修学旅行先から家族に手紙を出すというスケジュールがあり、子供たちがみんなそれぞれ親や兄弟に手紙を書くことになりました。

私も両親に送ったのですが、何しろ毎日顔を会わせている両親で、それまで手紙を送ったことなど一度もありません。ですから子供心になんとなく照れくさかったのを大人になった今でもはっきりと覚えています。

ですのでたかが十数行の手紙を書くだけのことなのにすごく時間がかかったものでした。きっと周りの友達も私と同じようなものだったでしょう。ですが修学旅行先からの手紙なので書く内容についてはいくらでもあります。そんなわけでその日どこを観光して、何を食べてどんなことをして遊んだかといった内容を手紙に書きました。

ただもちろん小学生の書く手紙なので拙い文章でしたし、手紙というより修学旅行の報告書のような感じになってしまいましたが、とにもかくにもこれが初めて両親に書いた手紙だったのでした。

こうして報告書のような手紙の最後に、とってつけたように私は元気ですけどそっちはどうですかと書いたのもよく覚えています。今から思えばもっと他に言いようがあっただろうと思うのですが、当時の私としては両親に元気ですかと聞くだけでもものすごく恥ずかしいものだったので、かなり勇気を振り絞ったつもりです。

こうして思春期特有の照れくささが先に立ち、どことなく他人行儀な手紙が出来上がったのですが、実際のところ小学校六年生の修学旅行は一週間もあり、それだけの長い期間親元から離れたことなど、少なくとも私は一度もありませんでした。

ですから照れくささと同時にホームシックに似た感情も確かにそこにはありました。でも早く家に帰りたいなど手紙に書くのも子供ながらにプライドが許さず、随分とそっけない手紙を送ることになったのでした。

毎年父の日に手紙をくれる娘はいつまでも

私が今までもらって一番嬉しかった手紙は、娘から初めて届いた父の日の手紙です。

当時私は家族と離れ、シンガポールで駐在生活を送っていましたが、その手紙は娘が小学校1年生の年の父の日に学校で作ってくれた作品と一緒に海を越えて届きました。

そこには覚えたばかりの大きなひらがなで、「だいすきなおとうさんいつもありがとう。からだにきをつけてこれからもおしごとがんばってね。」と書かれてありました。

それまでも娘は絵を描いてくれたり、まだきちんと文字にはなっていない記号のようなもので「はい、手紙!」と言って私に渡してくれることはありましたが、きちんとした手紙はそれが初めだったので、正直ものすごく感動しました。

その手紙を読みながら、読み書きが出来るようになった娘の成長や、私のことを思って書いてくれたであろう娘の言葉に胸がいっぱいになり、気づけば私はその手紙を持ったまま泣いていました。

このときの感動は妻から娘に話してくれていたようで、自分が書いた手紙で私がこんなにも喜んでくれた、ということが娘は何より嬉しかったようです。

それをきっかけに学校でおこったことや、妻と休みの日に出掛けたこと、娘が大切に世話している花がやっと咲いたことなど、日常のちょっとしたことを手紙に書いて送ってくれるようになりました。

その後、私は帰国し、それを機に娘から手紙が届くこともなくなってしまいましたが、それでも毎年父の日だけは今でも手紙を書いて渡してくれます。

当時小学1年生だった娘は現在高校生になります。

これがなかなか難しい年頃で、普段はゆっくり話す機会もなくなってしまいましたが、毎年父の日に手紙をくれる娘の素直で優しいところはいつまでも変わらずにいて欲しいなと思います。

夫との15年前の甘酸っぱい手紙のやりとり

もう15年以上前になりますが、夫と付き合っていた当時、私は夫に宛ててよく手紙を書いていました。

今ではスマートフォンが主流になり、ちょっとした連絡はlineのメッセージで済ませてしまうことがほとんどですが、当時はあってもポケットベルくらいなもので、手紙を書くというのはその頃の私にとっては極々ありふれた生活の一部でした。

先日家の中で片付けものをしていたときに、その時に夫に宛てて書いていたたくさんの手紙が思いがけない場所から出てきました。

結婚してからもその手紙の存在は知っていたし、なんだかおかしな話ですが、捨てずに取っておいたのも夫ではなく私です。

ですが改めてそれらを読み直したことはなかったので、ちょっと恥ずかしいような甘酸っぱい気持ちでしたが、それらの手紙を一つ一つ開き読み直してみました。

そこには20歳そこらのぴちぴちした私がおり、夫への溢れる想いが若い字体で書き綴ってありました。

ある手紙には一緒に見たかった映画を夫と二人で見られて嬉しかったこと、またある手紙には夏休みの旅行の計画、また彼の部屋に残してきた置手紙のようなものまでありました。

それらの手紙を読んでなんだか当時を思い出してキュンとしてしまい、夫にそのこと伝えました。

珍しく夫もそれらの手紙を見たがったので、その後また二人で一緒に読み直しましたが、二人ともがやっぱり手紙って良いなと感じていました。

キレイな便箋を選び、相手のことを考えながらペンを走らせ、思いを綴る。

今ではなかなか書かなくなってしまった手紙ですが、たまにはスマートフォンの電源を切って、付き合っていた頃のような気持ちで夫に手紙を書いてみるのも悪くないなと思いました。

林間学校の夜の母からの手紙

手紙と聞いてまず一番に思い出すのが、小学校5年生の林間学校の夜に母から届いた手紙です。

私も年をとり、もう20年以上も前の話になってしまいましたが、その手紙に書かれていた母の美しい文字やそれを読んで溢れ出た母への思いは今でも鮮明に覚えています。

当時私の通っていた小学校は5年生になれば林間学校と言って、親元を離れて生徒と先生だけで宿泊する訓練合宿のようなものがありました。

それまでは毎年1泊2日で行われていましたが、私たちが5年生になった年から5泊6日という子供にとってはかなり長い日程に変更になりました。

私は思春期の入り口に差し掛かっており、親の前では余裕を見せていましたが、正直出発前は夜トイレに一人で行けるかな、6日も家族に会えないなんて寂しくて泣いてしまわないかな、と不安でたまりませんでした。

それでも行ってしまえば皆でキャンプファイアーをしたり、飯盒炊爨をしたり、皆で大きなお風呂に一緒に入ったり、楽しい時間を過ごしていました。

そんな楽しい林間学校も中盤に差し掛かった夜に、子供たちが誰一人予想もしていなかったタイミングで親からの手紙を受け取ることになりました。

先生がお父さんお母さんからの手紙を預かってきてるよ、と言って私たち一人一人に手紙を配ってくれたのです。

それまでにぎやかだった部屋は静まりかえり、笑い声はすすり泣きの声に変っていました。

私も母からの手紙を読んで涙が止まりませんでした。

そこには何か困っていることはないか?元気にしているか?

一回り大きくなって帰ってくる私のことを家族皆楽しみにして待っているからね。というようなことが書かれてありました。

この時のことを思い出すたびに、母はもちろん、素晴らしい企画をしてくださった学校の先生方にも感謝の気持ちでいっぱいになります。

短歌が添えられた友人からの最後の手紙

年賀状を自ら書かなくなって5年ほど経過した時に、高校時代の同級生から突然年賀状が届きました。高校卒業から既に10年以上経過していたので、現在の住所ではなく実家に届いたわけですが、確かに高校時代は同じ吹奏楽部に所属していて仲が良かったことを思い出しました。

弟からのメールで年賀状が届いていると連絡が来たわけですが、実際に年賀状を確認出来たのはゴールデンウィークに帰省した時です。

懐かしく思い、卒業アルバムを引っ張り出して届いている年賀状の住所と照らし合わせてみると、旧友の住所に変わりないことを確認して地元に残っている友人経由で近況を確認すると、既に年賀状をくれた旧友は他界していることが判明したわけです。

既に結婚していて家族がいたことも驚きましたが、今まで年賀状が届いていなかったにも関わらず急に届いた理由として、最後の年賀状だったからだとその時に知ることになりました。年賀状が届いた3ヶ月後に脳腫瘍により他界するに至ったわけですが、他界する前に会いに行けなかったことが悔やまれました。

そこで、旧友の家を知る友人と共に訪れると、確かに既に他界している事実がそこにはありました。初めて会う旧友の妻は、実家に帰らず子供と共に同居を続けており、年賀状を出した時の様子を聞けました。

年賀状の文面には、短歌が記されていたので、一度手術を受けたリハビリとして毎日短歌を考えて年賀状として出すことにしていたと知りました。1枚の年賀状は、特別写真がカラフルに印刷されているわけでもなくシンプルなものですが、暫く途絶えていた年賀状が届いた時には虫の知らせであったり、予兆が含まれていると考えて近況を確認することも大切だと実感したわけです。

ネット上の事務的な取引に添える手書きの手紙

普段文章のやり取りといえば専らメールですから、めっきり手紙でやり取りする機会は減ってしまいました。

私は通信販売を利用して自分で手作りしたものを売ってお小遣い稼ぎをしているのですが、商品に添える書類に関しても明細書や機械的なお礼の文章を全てパソコンで作成して添えるのみです。事務的な内容だけで余計なことは書きませんし、住所に関してもやはりパソコンで入力したものを出力して貼り付けるのみで、手書きの文字を他人に見てもらうことすらありません。

ですが、そうした個人的な通販のやり取りでは、手書きの手紙を添えられるのが嬉しいという意見が多いことを知りました。

商品さえ問題なく送ることができればいいと思っていたので、最初はそういうものかと流してしまっていたのですが、なるほど確かに機械的な文章ではなく手書きの手紙が入っていれば、思わず文字に目を通してしまうのかもしれない、一理あるとも思うようになったのです。

いつもは送る側ですが、たまたま買い手側に回って商品を購入した際に可愛いメッセージカードにお礼の一言が書いてあり、心遣いに嬉しくなる気持ちがよくわかりました。それ以来、自分でも真似して明細書にプラスして手書きメッセージを加えるようにしています。

手紙を添える分事務処理に手間がかかってしまうのですが、不思議なもので商品を送る時にお客様が喜んでもらえるように、心を込めて梱包しようという気持ちが強くなりました。手紙には特に変わったことは書いていないのですが、開封した人の目にこの文字が読まれて、少しでも好印象を持ってもらえれば嬉しいなという思いで続けていますし、手書きの手紙があるだけで物を送る側と届けられる側のやり取りが、人と人との間で行われているものだということが強調されるようにも感じます。

手紙を添え始めてから、以前よりも相手のことを考えて取引ができるようになったのは、気のせいではないと思います。

偉大であり、大切な手紙コミュニケーション

私は、新卒で入社した会社で4年近く働いていました。

しかし、毎日働いている中で限界を感じるようになりました。様々な利害関係人が出てくる中、会社と顧客の間に挟まれて慌ただしく仕事をする繰り返しに疲れてしまいました。結果として、会社を辞めてしばらくゆっくりしようと決意しました。

会社を退職する手続きを終え、実家に帰り、お世話になった人たちに手紙を書きました。

勤務先で私を育ててくれた元上司には感謝の念としっかりと書き記しました。
また、勤務先でできた友人に対しては、退職後も変わらずに付き合ってほしい旨、書きました。

数日後、自宅の郵便ボックスに手紙が届いていました。元上司と友人からの手紙でした。

元上司からは、労いの言葉が記されており、一緒に仕事をしていた当時の思い出が書かれていました。
読めば読むほど、元上司に育ててもらえた結果、長い間仕事を続けられたのだと実感しました。元上司は定年退職が迫っており、定年退職時には再び手紙を書いて交流しようと思うようになりました。

一方、友人たちからは一緒に働けなくなる寂しさを文書から感じ取れました。新入社員の頃から一緒に苦楽を共にしてきた仲間であり、文書を読めば読むほど、感謝の想いがこみ上げてきました。

会社では辛いことの方が圧倒的に多かったですが、その代わりに大切な友人を形成することができた点は、最高の贈り物だと思えました。
定期的に連絡をし、今後も交流していくことになり、人と人の繋がりは大切だと思えるようになりました。

手紙を介して各々の想いを交換し合うことは、インターネットでは実現できない、人との結びつきを強くする力があると思いました。手紙でコミュニケーションをする文化は、偉大であり大切なものです。

妹からの笑える嬉しい転居知らせの手紙

普通に仲はよかったのですが、必要以上にべたべたせずに一定に距離感を保っていた妹が一人暮らしを始めることになり、私が仕事で忙しくしているうちに準備を済ませてあっという間に家から出て行ってしまいました。

それほど離れていないところに住んでいることは知っていたのですが、そういえば詳しい住所を聞いていなかったなと思ったのは、妹が実家を去ってから数週間後のことです。

もちろん両親把握していますから特に何の問題もなかったのですが、妹のほうも私に何も言っていなかったことに気がついたのか、一ヶ月ほど経ってから私宛に転居知らせの手紙を送ってきてくれたのには笑ってしまいました。

何故改まって「です」とか、そもそも両親が知っているのだから必要な時には彼らに聞けばいいと思っていましたし、妹もそれは重々承知していたのでしょう。住所を知らせるだけならお互いに電話番号もメールアドレスも知っているのでそちらで知らせてくれるだけでよかったのに、わざわざ手紙で転居知らせを送ってきたのは彼女なりのシャレのつもりだったのかもしれません。

身内から改まった口調で書かれている手紙をもらうという機会はなかなかなく、何だかくすぐったくなりました。

ただ、嬉しいことには変わりなかったので、彼女がわざわざ手紙で書いて知らせてくれた住所を活かして、タイミングを失って贈る機会を失っていた転居祝いを宅配で送ろうと決めました。ただ荷物を送るだけなら味気ないのでプレゼントに添えようと思った手紙に何を書こうか考えましたが、いざとなるとあまり言葉が浮かばないものです。

結局妹が転居の知らせに添えてくれたように、畏まったそっけない言葉しか書くことができませんでしたが、彼女もこんな心境だったのかなと思うとちょっとおかしくなりました。

まだ会ったことのない少女からの結婚報告

ここ数年、ネパールの方と手紙での交流を続けています。

昔同じアパートにネパールの方が住んでいて、親戚が日本が好きで日本語を覚えているので文通してあげてほしいということでした。

数年手紙のやり取りを続けているのですが、まだ少女だった子から結婚することになったという報告の手紙が届いたのです。これはなかなか衝撃でした。よく写真を同封してくれるのですが、本当にあどけない感じの女の子でしたから。

今もまだ幼い雰囲気が残っている彼女が結婚するなんて…日本とネパールでは文化も環境も違います。特に珍しいことではないのでしょうが、数年やり取りを続けてきた相手です。何だか不思議な感覚でした。

手紙の中には結婚相手のことが書かれていました。彼も日本の文化が好きらしく、インドに行ってカレー屋で修行をしているそうです。いずれは日本のビザが欲しいと奮闘していて、日本好きというところで話が合って結婚することになったそうです。個人的には、恋愛結婚だということでホッとしました。

年齢は彼女より7つ年上ですが、可愛いところもある人だと書いてありました。こういう恋愛の話が書いてあると、何だか手紙自体がすごくキラキラしているように感じます。

今後、彼女は彼の実家で生活するそうです。インドからすぐ近いので、彼は定期的にネパールに帰ってくるそう。自分の実家も目の前ですし彼の家族とも仲良くやれているらしく何だかホッとしてしまいました。

私は彼女に会ったことはありません。

昔お隣さんだった人は今も日本に住んでいて時々ネパールに帰りますのでその時お土産を渡したり逆にもらったりするくらい。本当に手紙だけのやり取りなのですが、やはりこういう人生の節目を報告する手紙というのはすごく嬉しいですね。