これからも大事にしていきたい絶対に捨てられない手紙

「手紙」という単語を聞くと、やはり1番に主人からもらった手紙のことを思い出します。

結婚式の当日にもらった手紙です。

結婚式は人生の中で1番の晴れ舞台と言っていいほど、自分が主役となれる大きな舞台です。

そんな日を迎え、緊張でガチガチになっている私に書いてくれた主人の手紙は、私の緊張をほぐし、この人と一生一緒に生きていくのだ。

という決意をあらたにしてくれる、とても貴重なものでした。

結婚式当日式場に入り、衣装に着替えて式が始まるのを待っていた時に、その手紙は突然私の手元にやってきました。

いきなり「これ読んどいて」と主人から渡された手紙に、正直戸惑いました。

「こんな状況で手紙なんて渡されて困る!」それが私の心の中の声でした。

ですが読み始めるうちに、そんなことを思った自分を恥ずかしく思い、後悔しました。

手紙には見慣れた汚い字で、今日は花嫁が主役だから心置きなく楽しみ、めいっぱい感動してほしいということと、これから夫婦として生きていく彼なりの決意が書かれていたのです。

そんなことについてこれまで一言も語ったことのない彼が、心の中でそんなことを考えたいたのかと、正直とても驚かされました。

式が始まる前から感動し、気持ちが高揚していったことをよく覚えています。

日頃から手紙なんて書いたことのない人が、自分に宛てて手紙を書いてくれたというだけで嬉しく、それだけ彼自身の中にも何か変化が生まれているのだと思いました。

結婚に対する自覚と決意をしっかりと固めてくれていることがわかり、本当に嬉しかったです。

嬉しかったのに、私は恥ずかしさで、「ありがとう」と一言だけ伝えるのが精一杯でした。

結婚してからはもちろん、手紙のやり取りなんてまったくありません。

ですが、だからこそ結婚式の直前に渡されたあの手紙が、貴重でとても愛おしい手紙でもあるのです。

人生の中には捨てれらない手紙がいくつかありますが、もちろんそんな中でもこの手紙は、絶対に捨てられない手紙です。

これからも大事にしていきますし、何かあるごとにあの手紙を読み直し、いろいろな壁を乗り越えるためのものになって欲しいと思います。

面と向かってはなかなか言えない気持ちも手紙だったら伝えられる

私が今までで一番心に残っているのは、父の日に送った手紙です。

それまで母の日や父の日にプレゼントを送ることはあっても、手紙を送るということはありませんでした。上京して親元を離れてもう何十年も経ちますが、母とは普段電話でよく話すことはあっても、父とは会話をするという時間はほとんどありませんでした。

そんな折、父の日が近づき今年は何をプレゼントしようかと考えていたところ、ふと「手紙を送ろう」と思い立ったのです。

父には子供の頃は本当にたくさん一緒に遊んでもらい、色々なところへ連れて行ってもらい、年頃になって少し距離を置いてしまいましたがそれでも成人するまで本当に様々なところで支えてもらいました。色々反発もしましたが、結婚して自分が子育てをするようになると、父への感謝の気持ちでいっぱいでした。

恥ずかしくて今まで直接はおろか一切伝えてこなかったこの気持ちを手紙にして送ろう。そう決心して便箋に思いを綴って手紙を書いたのです。思えばこれは私が初めて父へと宛てた手紙でした。

父の日にこの手紙を送り、その後父からは「ありがとう」という言葉は聞いていたけれど、その手紙についての感想は聞いたことがありませんでした。私も送っておきながら恥ずかしく、父に直接感想を聞くことができず、その手紙の存在は最近になるまですっかり忘れていたのです。

今年、父が急死しました。それまで病気などの兆候も一切見られず、子供達を連れて久しぶりに帰省をしたその翌週のことでした。

まさか亡くなるとは思わず、どうしてもっと父に感謝の気持ちを伝えておかなかったんだろう、ありがとうって言わなかったんだろう、そんな後悔でいっぱいでした。「またお正月にね」とそんな言葉が最後になるとは思いませんでした。

悲しみの中父の遺品の整理をしていたところ、父の机の引き出しに私からもらったあの手紙が大切にしまってあったという話を家族から聞きました。綺麗な箱に入っていたそうです。手紙を送って「ありがとう」としか言わなかった父でしたが、心の中ではとても喜んでくれていたのだとその時初めて解り、何とも言えない気持ちでいっぱいになりました。あの時素直な気持ちを手紙に書いておいて良かった。父に対しての感謝の気持ちは少しでも伝わっていたのかもしれない、そう思えたのです。

面と向かってはなかなか言えない気持ちも、手紙だったら伝えられます。今でもこの手紙のことを思うと涙が出ますが、思っていることは相手に伝えなければ後悔するという事が父からの最後の教えだったと思っています。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わる

社会人になって3年が経過した頃、実家に祖母から手紙が届いていると母から連絡を受けました。

祖母は5年前に他界していたので、何かの間違いかと思いましたが、実家へ戻る口実に利用されているのかと考えて、翌月に実家へ出向くことにしたわけです。母から手渡された手紙には、確かに祖母の筆跡と分かる読みにくい文字で書かれていました。

家族全員に対して1通ずつ送付されていて、末期癌の闘病中に病院経由で公益社団法人に依頼したことが後で分かりました。

祖母は私が大学在学中で、就職活動を始める頃に他界したので、就職先を知りません。にも関わらず、通信業界に就職して残業漬けの毎日を送っていることが書かれていました。

会社名までは入っていなかったものの、これから起きるであろう壁に立ち向かう方法をアドバイスするかのように、転職を考えた時に思い出す言葉が記されていました。

「退社する前にしか出来ないこと3つを考えて後悔しない決断をするように」というメッセージを見た時に、会社名というブランドで仕事をしていると分かりました。他の会社へ移動しても使えるスキルを育てなければ、目先の転職をしても意味が無いと気付いたわけです。

残業漬けの毎日を行っても、給料が対して上がらないことに嫌気が差していましたが、人脈作りや会社のスキルアップ補助制度を利用した資格取得をフル活用していないことに気づくキッカケとなりました。

新入社員が3年目にぶつかる壁を既に予感していたのか、孫の姿を予測して手紙でアドバイスを送ってもらえたことに感謝したわけです。

最終的に手紙を受け取ってから3年後に転職をすることになりますが、新入社員からの3年間とは異なり、濃い3年間を過ごして転職したことにより、大幅な収入アップに繋がりました。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わることを実感しました。

手紙の暖かみは特別だから

私には遠方に暮らす両親がいます。

私は幼い頃はいじめられたり内向的な性格だったんですが、父母の愛情で自分に自信が持てる様になり学生時代は積極的に楽しめる社交的な性格になっていました。

そんな私は幼い頃にいじめられていた反動からか、必要以上に気の強い性格になってしまいました。どんな時でも私を最大限支えてくれる両親に対しても、私は自分が病気をしたことを機にイライラして両親と喧嘩をしてしまいました。

仕事が休みとなれば必ず実家に帰っていたのに、結果、半年以上も実家に帰らないという状況になってしまいました。

父も母も私の性格をわかっているので、私からも特に連絡はしなかったし向こうからも連絡はしてきませんでした。

ですが妹を通して私の様子を母が聞いていた事は妹から聞き知っていたので『心配しているんだな』と分かっていたんですが意地を張り連絡できずにいました。

そんなある日、母から一通の手紙が来ました。

手紙には、母はなかなか子供ができずに親戚にイヤミを言われ辛かった中で、やっと私ができた時とても父と一緒に喜んだと事、私が無事に生まれた時のこと、私が幼き時いじめられていた時のこと、大人になってから夢だった仕事につけた時の事など事細かに書いていました私への愛情がたっぷり詰まった手紙でした。

そして母も大人気なくキツい一言を言って申し訳なかったと書いていました。それを見た時に、長い間無駄に意地を張っていた自分が本当に幼なかったと感じ恥ずかしくなり返事を書きました。

私は面と向かって絶対に言えない言葉でも、手紙にはスラスラ書けることを知りました。あんなに真剣に手紙を書いたのは初めてです。母はよく友達などに手紙を書いています。手紙の暖かみは特別だからだと今なら理解できます。

入院してしまった祖父への手紙

私は普段手紙など滅多に書かないのですが、今から五年ほど前に祖父に初めて手紙を書いたことがありました。手紙を書いた理由は当時、祖父が体調を崩し倒れてしまったからで、一ケ月ほどの入院生活中に少しでも元気づけることができればと手紙を書いたという訳です。

ただそれまで祖父には手紙どころか面と向かって真面目な話をしたこともなければ感謝を伝えたことさえありません。ですから手紙を書こうと決めたは良いものの、何を書けばいいのか分からず、結局は早く体調が良くなって退院できることを願う文章と、私の日常を報告することくらいになってしまいました。

ですが書いている時には幼い頃から可愛がってもらった祖父との思い出がよみがえり、心から元気になってほしい、早く退院してまた一緒にご飯を食べに行ったりドライブに行ったりしたいと思っていたので、手紙の内容はともかくとして我ながら気持ちだけは込めたつもりです。

それに祖父は入院するまですごく元気で、仕事もまだ現役でしたし、休日のたびに趣味の釣りに出かけたりとするくらいだったので、私自身、祖父が倒れたと聞いた時には本当に驚いたものです。そして入院となってからも何度もお見舞いに行き、どこか元気のない祖父の姿を見て、胸が痛んだのも事実です。

こうした背景があったため、手紙を書いている時にはいろいろと考えさせられましたし、あらためて祖父ももうそんな年齢だったんだなと実感したわけです。

そして入院中の祖父に手紙を渡し、とても喜んでもらうこともでき、おまけにその後しばらくして無事退院することもできたのです。

そんな祖父は今ではすっかり元気で、私が送った手紙を大事に取っておいて、私が祖父の家へ遊びに行った時にはいつもその手紙を見せてくれるのでした。

修学旅行先からの家族へのそっけない他人行儀な手紙

小学校六年生のときに修学旅行先から家族に手紙を出すというスケジュールがあり、子供たちがみんなそれぞれ親や兄弟に手紙を書くことになりました。

私も両親に送ったのですが、何しろ毎日顔を会わせている両親で、それまで手紙を送ったことなど一度もありません。ですから子供心になんとなく照れくさかったのを大人になった今でもはっきりと覚えています。

ですのでたかが十数行の手紙を書くだけのことなのにすごく時間がかかったものでした。きっと周りの友達も私と同じようなものだったでしょう。ですが修学旅行先からの手紙なので書く内容についてはいくらでもあります。そんなわけでその日どこを観光して、何を食べてどんなことをして遊んだかといった内容を手紙に書きました。

ただもちろん小学生の書く手紙なので拙い文章でしたし、手紙というより修学旅行の報告書のような感じになってしまいましたが、とにもかくにもこれが初めて両親に書いた手紙だったのでした。

こうして報告書のような手紙の最後に、とってつけたように私は元気ですけどそっちはどうですかと書いたのもよく覚えています。今から思えばもっと他に言いようがあっただろうと思うのですが、当時の私としては両親に元気ですかと聞くだけでもものすごく恥ずかしいものだったので、かなり勇気を振り絞ったつもりです。

こうして思春期特有の照れくささが先に立ち、どことなく他人行儀な手紙が出来上がったのですが、実際のところ小学校六年生の修学旅行は一週間もあり、それだけの長い期間親元から離れたことなど、少なくとも私は一度もありませんでした。

ですから照れくささと同時にホームシックに似た感情も確かにそこにはありました。でも早く家に帰りたいなど手紙に書くのも子供ながらにプライドが許さず、随分とそっけない手紙を送ることになったのでした。

毎年父の日に手紙をくれる娘はいつまでも

私が今までもらって一番嬉しかった手紙は、娘から初めて届いた父の日の手紙です。

当時私は家族と離れ、シンガポールで駐在生活を送っていましたが、その手紙は娘が小学校1年生の年の父の日に学校で作ってくれた作品と一緒に海を越えて届きました。

そこには覚えたばかりの大きなひらがなで、「だいすきなおとうさんいつもありがとう。からだにきをつけてこれからもおしごとがんばってね。」と書かれてありました。

それまでも娘は絵を描いてくれたり、まだきちんと文字にはなっていない記号のようなもので「はい、手紙!」と言って私に渡してくれることはありましたが、きちんとした手紙はそれが初めだったので、正直ものすごく感動しました。

その手紙を読みながら、読み書きが出来るようになった娘の成長や、私のことを思って書いてくれたであろう娘の言葉に胸がいっぱいになり、気づけば私はその手紙を持ったまま泣いていました。

このときの感動は妻から娘に話してくれていたようで、自分が書いた手紙で私がこんなにも喜んでくれた、ということが娘は何より嬉しかったようです。

それをきっかけに学校でおこったことや、妻と休みの日に出掛けたこと、娘が大切に世話している花がやっと咲いたことなど、日常のちょっとしたことを手紙に書いて送ってくれるようになりました。

その後、私は帰国し、それを機に娘から手紙が届くこともなくなってしまいましたが、それでも毎年父の日だけは今でも手紙を書いて渡してくれます。

当時小学1年生だった娘は現在高校生になります。

これがなかなか難しい年頃で、普段はゆっくり話す機会もなくなってしまいましたが、毎年父の日に手紙をくれる娘の素直で優しいところはいつまでも変わらずにいて欲しいなと思います。

林間学校の夜の母からの手紙

手紙と聞いてまず一番に思い出すのが、小学校5年生の林間学校の夜に母から届いた手紙です。

私も年をとり、もう20年以上も前の話になってしまいましたが、その手紙に書かれていた母の美しい文字やそれを読んで溢れ出た母への思いは今でも鮮明に覚えています。

当時私の通っていた小学校は5年生になれば林間学校と言って、親元を離れて生徒と先生だけで宿泊する訓練合宿のようなものがありました。

それまでは毎年1泊2日で行われていましたが、私たちが5年生になった年から5泊6日という子供にとってはかなり長い日程に変更になりました。

私は思春期の入り口に差し掛かっており、親の前では余裕を見せていましたが、正直出発前は夜トイレに一人で行けるかな、6日も家族に会えないなんて寂しくて泣いてしまわないかな、と不安でたまりませんでした。

それでも行ってしまえば皆でキャンプファイアーをしたり、飯盒炊爨をしたり、皆で大きなお風呂に一緒に入ったり、楽しい時間を過ごしていました。

そんな楽しい林間学校も中盤に差し掛かった夜に、子供たちが誰一人予想もしていなかったタイミングで親からの手紙を受け取ることになりました。

先生がお父さんお母さんからの手紙を預かってきてるよ、と言って私たち一人一人に手紙を配ってくれたのです。

それまでにぎやかだった部屋は静まりかえり、笑い声はすすり泣きの声に変っていました。

私も母からの手紙を読んで涙が止まりませんでした。

そこには何か困っていることはないか?元気にしているか?

一回り大きくなって帰ってくる私のことを家族皆楽しみにして待っているからね。というようなことが書かれてありました。

この時のことを思い出すたびに、母はもちろん、素晴らしい企画をしてくださった学校の先生方にも感謝の気持ちでいっぱいになります。

妹からの笑える嬉しい転居知らせの手紙

普通に仲はよかったのですが、必要以上にべたべたせずに一定に距離感を保っていた妹が一人暮らしを始めることになり、私が仕事で忙しくしているうちに準備を済ませてあっという間に家から出て行ってしまいました。

それほど離れていないところに住んでいることは知っていたのですが、そういえば詳しい住所を聞いていなかったなと思ったのは、妹が実家を去ってから数週間後のことです。

もちろん両親把握していますから特に何の問題もなかったのですが、妹のほうも私に何も言っていなかったことに気がついたのか、一ヶ月ほど経ってから私宛に転居知らせの手紙を送ってきてくれたのには笑ってしまいました。

何故改まって「です」とか、そもそも両親が知っているのだから必要な時には彼らに聞けばいいと思っていましたし、妹もそれは重々承知していたのでしょう。住所を知らせるだけならお互いに電話番号もメールアドレスも知っているのでそちらで知らせてくれるだけでよかったのに、わざわざ手紙で転居知らせを送ってきたのは彼女なりのシャレのつもりだったのかもしれません。

身内から改まった口調で書かれている手紙をもらうという機会はなかなかなく、何だかくすぐったくなりました。

ただ、嬉しいことには変わりなかったので、彼女がわざわざ手紙で書いて知らせてくれた住所を活かして、タイミングを失って贈る機会を失っていた転居祝いを宅配で送ろうと決めました。ただ荷物を送るだけなら味気ないのでプレゼントに添えようと思った手紙に何を書こうか考えましたが、いざとなるとあまり言葉が浮かばないものです。

結局妹が転居の知らせに添えてくれたように、畏まったそっけない言葉しか書くことができませんでしたが、彼女もこんな心境だったのかなと思うとちょっとおかしくなりました。

弟夫婦から届いた初めての年賀状

私には弟がいるのですが、その弟が結婚して初めてのお正月に弟夫婦から年賀状が届きました。

この頃には私自身ももう結婚しており、実家を出ていたのですが、その一年前のお正月にはまだ独身だった弟からの年賀状などもちろん届いていません。
その次の年には不幸があり、喪中のために年賀状は無し。喪中印刷を比較してから注文した記憶があります。(参考:喪中印刷の比較
翌年には夫婦の名前で年賀状が届き、ああ、弟も家庭を持ったんだなとあらためて感じたものです。

そしてこの年賀状には新年のあいさつとともに私たち夫婦の一年の健康を願う言葉などがしたためられており、そこには「お義姉さん」と私のことが書かれていたのです。

もちろん私は長女なので弟の結婚相手は義妹にあたるわけですから、お義姉さんで何もおかしくありません。
ですがなんとなく照れくさいようなくすぐったいような気持ちになりました。

何しろ弟は姉ちゃんや姉貴と呼ぶことはあっても、お姉さんと呼ぶことなどありませんでしたから、そんな呼ばれ方をしたことなどめったにありません。

それが義理の妹が出来た途端、そう呼ばれるようになったわけですから、照れくささ半分嬉しさ半分といった感じでした。

ですがもちろん義理の妹が書いたであろう心のこもった年賀状で嬉しくないわけがありません。これで私にも可愛い義妹が出来たんだと弟の結婚式の時以上にそう実感し、それから数年経った今でもこの時の年賀状は大切に仕舞ってあります。
その後も毎年年賀状を送ってくれるのですが、やはり弟が夫婦になって初めての年賀状というのは格別感慨深いものがありました。今でこそ義理の妹からお義姉さんと呼ばれることにも慣れましたし、嫌な小姑にならないよう気を付けつつ仲良くしていますが、いまだに弟たちが結婚して初めて受け取った年賀状のことを思い出すと照れくささもまたよみがえってくる私なのでした。