未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わる

社会人になって3年が経過した頃、実家に祖母から手紙が届いていると母から連絡を受けました。

祖母は5年前に他界していたので、何かの間違いかと思いましたが、実家へ戻る口実に利用されているのかと考えて、翌月に実家へ出向くことにしたわけです。母から手渡された手紙には、確かに祖母の筆跡と分かる読みにくい文字で書かれていました。

家族全員に対して1通ずつ送付されていて、末期癌の闘病中に病院経由で公益社団法人に依頼したことが後で分かりました。

祖母は私が大学在学中で、就職活動を始める頃に他界したので、就職先を知りません。にも関わらず、通信業界に就職して残業漬けの毎日を送っていることが書かれていました。

会社名までは入っていなかったものの、これから起きるであろう壁に立ち向かう方法をアドバイスするかのように、転職を考えた時に思い出す言葉が記されていました。

「退社する前にしか出来ないこと3つを考えて後悔しない決断をするように」というメッセージを見た時に、会社名というブランドで仕事をしていると分かりました。他の会社へ移動しても使えるスキルを育てなければ、目先の転職をしても意味が無いと気付いたわけです。

残業漬けの毎日を行っても、給料が対して上がらないことに嫌気が差していましたが、人脈作りや会社のスキルアップ補助制度を利用した資格取得をフル活用していないことに気づくキッカケとなりました。

新入社員が3年目にぶつかる壁を既に予感していたのか、孫の姿を予測して手紙でアドバイスを送ってもらえたことに感謝したわけです。

最終的に手紙を受け取ってから3年後に転職をすることになりますが、新入社員からの3年間とは異なり、濃い3年間を過ごして転職したことにより、大幅な収入アップに繋がりました。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わることを実感しました。

自分の字も見る機会が減ってきた時代に友人からの手紙

中学生や高校生になってからできた友人は、淡い青春の思い出の1ページに一緒に刻まれるだけに、とても大事な存在です。

ですが互いに故郷を離れ、いろいろな場所を転々としているうちにいつしか連絡が途絶え、疎遠になってしまった友人もたくさんいます。

そんな友人達に、なんとかして再会できればいいなと思っていた矢先、その中の1人の友人の母親にばったり再会したのです。

久々に帰省した田舎のコンビニエンスでばったりです。

嬉しいことに、友人のお母さんの方が私のことを覚えてくれていて、声をかけてくれたのです。

久々の再会に胸を躍らせながら、肝心な友人の近況を尋ねる、とやはり故郷から遠く離れた県外に住んでいました。

友人の母親と別れ際に、私が数十年ぶりに友人に会いたがっていることを、伝えてほしいとお願いしました。

するとそれから2週間ほど経過した時に、その友人から手紙が届いたのです。

私の現在の住所を知らないはずなのに、わざわざ実家に確認して手紙を書いてくれたのです。

久々に見た友人の字に、胸が高鳴りました。

なんでもスマホやパソコンで連絡を取り合う時代です。

他人の字はおろか、自分の字も見る機会が減ってきた時代なのに、友人の字を見ることができたのです。

友人の字を直筆の字を数十年ぶりに見ることができ、何とも言えないほどの懐かしさと感動を味わうことができました。

宛て名の字を見ただけでも感動モノでしたが、手紙の内容にもやはり感動させられました。

今は子供が小さく身動きが思うように取れないこと、でも私と同じように友人も私のことを思い出し、会いたいと思っていてくれたこと。

手紙には、友人の近況や胸の内が、ぎっしりとしたためられていました。

お互い会いたいと思っていたことに運命的なものを感じ、やっぱりこの人は大事な友人なんだなと、強く感じたことを覚えています。

それから2年後、お互いに同じ期間に帰省し、ようやく再会することができました。

スマホやパソコンのメールではなく、「手紙」という形でまた友人とつながることができたこと、それは自分にとってかけがえのない経験です。

忘れることができない退職した同僚の手紙と後ろ姿

約10年ほど前、ある方が職場を退職される時にとても温かいお手紙を頂いた事があります。

その方は以前は管理職をされていた方でしたが、その当時の日本社会全体の不況と会社の部署の統廃合に伴い、定年前の2年ほどを私と同じ部署で働く事になりました。

しかも職種が私と同じだったので、私の様な30歳ぐらい年下の者がその方を教える立場になってしまったのです。

今まで管理職だった方が私に指示されながら同じ仕事をするのはどんなにか大変だったと思います。

しかも不慣れなIT機器や今まであまり経験した事のないお仕事に戸惑ってミスを連発してしまう状況も見受けられました。

でも私はその方の豊富な社会経験や人柄の良さに敬意を抱いていました。

だからこそ忙しい時にも互いに助け合ってやって来られたのだと思います。

定年退職の日にその方は私にお手紙と小さなプレゼントを下さいました。

その手紙には、不慣れな自分をあなたは一度も怒らずに敬意を持って接してくれたと感謝の気持ちが書いてありました。

そんな事はないのです。とても忙しい時に仕事が滞りがちになってしまうその方に私は忙しさから冷たい態度で対応してしまった事もきっとあったと思います。

それでもその方はいつも優しく私を受け止めて、お仕事での良い人間関係を築いて下さっていました。

感謝をすべきはこちらなのにと泣きそうになりました。

そのお手紙を頂いてから、私は新人に仕事を教える時にもいつも相手への敬意を失わない様に心がける事にしました。

私自身もその職場を退職し、新しい仕事についてからもその方のお手紙と花束を持って去っていった定年退職の日の後ろ姿は忘れられません。

私が仕事を教えていたつもりでその方から多くの事を教えられていた事を、温かいお手紙と同時に思い返します。

教え子からの感謝の手紙

私が受け取った手紙の中で印象深いのは音楽教室の生徒さんからの手紙です。

私は音楽教室で講師をしているのですが、そこに音楽大学を受けたいと言う事である生徒さんがやって来ました。

音楽大学の受験にはかなりの準備期間が必要なのですが、生徒さんがやってきたのは高校三年生の夏休み前で音大受験にはギリギリの時期でした。

しかしどうしても大学で音楽の勉強がしたいという生徒さんの熱意に負けて、その日から夏休み返上で私と彼女とのマンツーマンでの猛レッスンが始まったのです。

音楽大学に入るにはピアノや声楽の他に音楽の基礎知識も問われます。それらを週に3回ほど一緒に勉強し、やっと冬にはある程度の準備が出来ました。

そして1月に実施されたある音楽学部のある私立大学の推薦入試に彼女は見事に合格したのです。

その時は私もとても嬉しく、彼女の大事な夢を叶えるお手伝いが出来た事で自分の仕事に誇りも感じました。

入学内定後に彼女はすぐにご両親と私の所にご挨拶にみえて、そのあと大学のある東京での生活へと旅立っていきました。

思いがけず手紙が届いたのは彼女が入学したその年の夏でした。とても可愛い便箋に綺麗な字で私に対する感謝の気持ちが綴ってありました。

春には卒業や新生活で忙しくて落ち着かず、私にゆっくり感謝の気持ちが伝えられなかった事も詫びてありました。

そして楽しい学生生活の様子や、やりたかった音楽の勉強の様子が生き生きとした文章で書いてあり、彼女の胸躍る様な気持ちが手に取る様にわかりました。

去年の夏、先生に出会えて自分の進路が開けた事が本当に良かったとその手紙には書いてありました。

出会いというのは本当に縁だと思うのですが、まだ20歳なのにこうした感謝の気持ちを手紙で表せる彼女の人柄が自分の道を開き、多くの人との出会いへと導いたのだとも思います。彼女からもらった手紙は今でも辛い時には私を勇気付けて、音楽を教える素晴らしさを教えてくれています。

落し物を届けたことから届いた手紙

私が大学生のとき、今から10年以上前の話です。

私は地方在住なのですが、あるとき東京で好きなアーティストのライブがあって、友人と二人で参加することにしました。

ライブは盛り上がり、気づけば新幹線の時間ギリギリになっていました。

私と友人は慌てて駅に向かい、あらかじめ預けていたロッカーから荷物を取り出しました。

すると、上の段から、ひらひらと千円札が落ちて来ました。

探ると、さらに千円札が10枚近くあるのがわかりました。

電車の時間もないし、どうしようと悩みましたが、お金はお金、駅員さんに預けることにしました。(この手続きが思った以上にかかり、新幹線に本当に間に合わなくなりそうになってちょっと後悔しました)

そして実家に帰った私ですが、およそ一月後、ハガキでお手紙を頂きました。

そこにあったのは、見知らぬ男性のお名前。
誰だろうと思いながら、とりあえず読むことにしました。

よくよく読んでみると、手紙の送り主はあの千円札の持ち主らしき人でした。
駅員さんを通じ、私の住所を教えてもらったとのことです。

そこには、拾ってくれてありがとうございました、どこに落ちていたか詳しいことを知りたい、ちゃんとしたお礼として、菓子折を送りたい。そんな旨のことが手書きで書いてありました。

しかし、当時の私は警戒心が高く、またずぼらだったこともあり、その人への返事をしないまま、今に至っています。

菓子折は断るにしても、ちゃんとお金を見つけた経緯や、手紙を送って頂いたことへの感謝などはきちんと伝えるべきだったなぁ……と反省しています。

当時世間しらずの若造だったとはいえ、これがなんらかの縁になったかもしれないと思うと、本当にもったいないことをしたと思います。

手紙の暖かみは特別だから

私には遠方に暮らす両親がいます。

私は幼い頃はいじめられたり内向的な性格だったんですが、父母の愛情で自分に自信が持てる様になり学生時代は積極的に楽しめる社交的な性格になっていました。

そんな私は幼い頃にいじめられていた反動からか、必要以上に気の強い性格になってしまいました。どんな時でも私を最大限支えてくれる両親に対しても、私は自分が病気をしたことを機にイライラして両親と喧嘩をしてしまいました。

仕事が休みとなれば必ず実家に帰っていたのに、結果、半年以上も実家に帰らないという状況になってしまいました。

父も母も私の性格をわかっているので、私からも特に連絡はしなかったし向こうからも連絡はしてきませんでした。

ですが妹を通して私の様子を母が聞いていた事は妹から聞き知っていたので『心配しているんだな』と分かっていたんですが意地を張り連絡できずにいました。

そんなある日、母から一通の手紙が来ました。

手紙には、母はなかなか子供ができずに親戚にイヤミを言われ辛かった中で、やっと私ができた時とても父と一緒に喜んだと事、私が無事に生まれた時のこと、私が幼き時いじめられていた時のこと、大人になってから夢だった仕事につけた時の事など事細かに書いていました私への愛情がたっぷり詰まった手紙でした。

そして母も大人気なくキツい一言を言って申し訳なかったと書いていました。それを見た時に、長い間無駄に意地を張っていた自分が本当に幼なかったと感じ恥ずかしくなり返事を書きました。

私は面と向かって絶対に言えない言葉でも、手紙にはスラスラ書けることを知りました。あんなに真剣に手紙を書いたのは初めてです。母はよく友達などに手紙を書いています。手紙の暖かみは特別だからだと今なら理解できます。

入院してしまった祖父への手紙

私は普段手紙など滅多に書かないのですが、今から五年ほど前に祖父に初めて手紙を書いたことがありました。手紙を書いた理由は当時、祖父が体調を崩し倒れてしまったからで、一ケ月ほどの入院生活中に少しでも元気づけることができればと手紙を書いたという訳です。

ただそれまで祖父には手紙どころか面と向かって真面目な話をしたこともなければ感謝を伝えたことさえありません。ですから手紙を書こうと決めたは良いものの、何を書けばいいのか分からず、結局は早く体調が良くなって退院できることを願う文章と、私の日常を報告することくらいになってしまいました。

ですが書いている時には幼い頃から可愛がってもらった祖父との思い出がよみがえり、心から元気になってほしい、早く退院してまた一緒にご飯を食べに行ったりドライブに行ったりしたいと思っていたので、手紙の内容はともかくとして我ながら気持ちだけは込めたつもりです。

それに祖父は入院するまですごく元気で、仕事もまだ現役でしたし、休日のたびに趣味の釣りに出かけたりとするくらいだったので、私自身、祖父が倒れたと聞いた時には本当に驚いたものです。そして入院となってからも何度もお見舞いに行き、どこか元気のない祖父の姿を見て、胸が痛んだのも事実です。

こうした背景があったため、手紙を書いている時にはいろいろと考えさせられましたし、あらためて祖父ももうそんな年齢だったんだなと実感したわけです。

そして入院中の祖父に手紙を渡し、とても喜んでもらうこともでき、おまけにその後しばらくして無事退院することもできたのです。

そんな祖父は今ではすっかり元気で、私が送った手紙を大事に取っておいて、私が祖父の家へ遊びに行った時にはいつもその手紙を見せてくれるのでした。

手紙でしか伝えられないこと感じられないこと

私には長い間疎遠になっていた親友がいます。

大学に通っていた間は本当に毎日一緒にいて姉妹というよりも自分の分身のような感じで何をするにも一緒に過ごしていた友人でした。
ですが卒業間際、私も彼氏と離ればなれになる事もありナーバスになっていて、友人が冗談半分で口にした事が私の逆鱗に触れ大喧嘩をしてしまいました。

そのまま卒業し彼女は地元に戻りましたから連絡が一切途絶えました。

風の噂で彼女が結婚して子供を産んだという話は聞いていたんですが、お互いに住所は知らなかったので、やり取りはなく私も『おめでとう』の一言が言えずにずっと心に引っかかっていました。

そんなことを考える様になってから、共通の友達からこんな電話がありました。その友人が私と連絡を取りたいと言っているとのことでした。

私はすごく悩みましたが電話で話すのは何かまだ気が引けて、手紙ならいいよということを承諾し共通の友達に私の住所を託しました。

それから1か月ほどして疎遠になっていた親友から一通の手紙が届いたのです。その手紙には旦那さんと子供と一緒に写った家族写真が同封されておりました

彼女の顔を見た瞬間、私は学生時代のことが一気に蘇ってきて不思議と涙が溢れてきました。手紙というものは高校以来書いてもいなかったしもらったこともなかったんですが「手紙っていいな」と思いました。

電話や直接会った時に言えないことも字に表すと素直に書けるものですね。私もすぐに返事を書きました。今まで気になっていたことや些細なことで怒ってしまったこと…それに関して素直に謝ることができました。

それから更に2ヶ月ほどして私たちは直接電話で話し、会う約束もしました。これを機に手紙の素晴らしさを実感することができて今の時代はメールで済ませがちですが、手書きの手紙を書くことを最近始めました。

遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取り

手紙で一番思い出深いのが遠距離恋愛していた20代中盤の頃のことです。

当時は今のように携帯電話やパソコンなんてない時代です。

遠く離れた彼氏と連絡を取るには固定電話か手紙しかありませんでした。

最初は電話中心で連絡を取り合っていたのですが、電話代が1ヶ月分の給料並みにかさんでしまって、控えるようにしました。

その代わりに手紙を書くようになり、最低でも週に2、3回は手紙を書いてはせっせと送っていました。

手紙を書くようになった頃はラブレターのような相手に対する好きだという気持ちや、早く会いたいとかそばにいなくて寂しいなどというロマンチックな内容でした。

しかし、さすがに週に2回も3回も手紙を書いていると、ラブレター的な内容だけでは書くネタに困るようになってきます。

だんだんと日常のことや近況報告を盛り込むようになり、時には恋のポエムなんかも書いていたのを思い出します。

今思えばよくあんな小っ恥ずかしい手紙を何通も出していたなと、穴があったら入りたくなるような気持ちです。

ただ、相手に対する気持ちを手紙に込めたいという思いは強かったです。

電話での会話が減った分、自分の気持ちをしっかりと手紙で伝えたいと思っていつも手紙を書いていました。

その反面、あまり気持ちを押し付けると彼氏に負担をかけるのではないかとか、手紙1通書くのでも頭を悩ませていたのを思い出します。

残念ながら、遠距離恋愛の彼氏とはハッピーエンドを迎えられませんでしたが、手紙に気持ちを込めて書くという手紙の大切さを一番感じていました。

今はメールなどが普及してめっきり手紙を書く機会は減りましたが、たまに届く友達や親類からの手紙には温かみを感じてうれしくなります。

そんな手紙の良さを知ったのも遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取りがあったおかげだと思っています。

修学旅行先からの家族へのそっけない他人行儀な手紙

小学校六年生のときに修学旅行先から家族に手紙を出すというスケジュールがあり、子供たちがみんなそれぞれ親や兄弟に手紙を書くことになりました。

私も両親に送ったのですが、何しろ毎日顔を会わせている両親で、それまで手紙を送ったことなど一度もありません。ですから子供心になんとなく照れくさかったのを大人になった今でもはっきりと覚えています。

ですのでたかが十数行の手紙を書くだけのことなのにすごく時間がかかったものでした。きっと周りの友達も私と同じようなものだったでしょう。ですが修学旅行先からの手紙なので書く内容についてはいくらでもあります。そんなわけでその日どこを観光して、何を食べてどんなことをして遊んだかといった内容を手紙に書きました。

ただもちろん小学生の書く手紙なので拙い文章でしたし、手紙というより修学旅行の報告書のような感じになってしまいましたが、とにもかくにもこれが初めて両親に書いた手紙だったのでした。

こうして報告書のような手紙の最後に、とってつけたように私は元気ですけどそっちはどうですかと書いたのもよく覚えています。今から思えばもっと他に言いようがあっただろうと思うのですが、当時の私としては両親に元気ですかと聞くだけでもものすごく恥ずかしいものだったので、かなり勇気を振り絞ったつもりです。

こうして思春期特有の照れくささが先に立ち、どことなく他人行儀な手紙が出来上がったのですが、実際のところ小学校六年生の修学旅行は一週間もあり、それだけの長い期間親元から離れたことなど、少なくとも私は一度もありませんでした。

ですから照れくささと同時にホームシックに似た感情も確かにそこにはありました。でも早く家に帰りたいなど手紙に書くのも子供ながらにプライドが許さず、随分とそっけない手紙を送ることになったのでした。