手紙から読み取る想像力

最近ではメールやLINEで言葉を交わしたり、年末年始の挨拶なども済ませてしまいがちです。しかし数人だけですがまだ年賀状を送っている相手もいて、そのような付き合いを大切にしています。手紙やはがきで送られてきた言葉にはメールなどの決まった硬い書体で書かれてきた言葉よりも温もりがあるように感じられます。手書きで一言添えてあったりするとその人の個性や人柄も伝わってくるような感じがして年賀状はなるべく出すようにしています。

私の地元で一緒に育った幼馴染も結婚して少し離れた県に住んでいて、毎年年賀状をくれるのですがそこの家庭の子供たちの写真や家族写真を印刷して送ってくれて、必ず手書きで一言添えてくれるので、毎年届くのが楽しみです。

写真を付けてくれると子供たちがどのように成長しているのかや、家族写真でも幼馴染の友人がどのように変化しているのかなどがわかって、年一回だけでも顔が見れるのはいいものだなと感じます。手書きの文字を見ると相変わらずきれいな字だなと感じて友人を懐かしむこともできるし、その一言によく子供が何年生になってこのようなことをしたとか習い事を頑張ってますといったエピソードを添えてくれるので子供たちが大きくなったんだろうなと想像して楽しむこともできます。

離れて生活していてもちょっとした手紙やはがきのやり取りでお互いのことを知ることができるし、淡々と送られてくるメールなどと違って人と人とのつながりみたいなものを感じます。

よく私の姉も荷物を送ってくれたりすると必ず短い手紙を入れてくれて、ちょっとだけどどうぞとかそっちはどんな調子ですかなどと一言添えてくれるだけでこちらのことをいつも考えてくれているんだなとありがたい気持ちになります。たった一言でもいから手書きで伝えるというのは何かでつながっているという気持ちがして大切にしていきたいことだと思います。

もしも、を考えさせられる懐かしい手紙

手紙と呼んで良いのか少しきわどいですが、私の心に強く残っているものは、かつて幼馴染と交わした交換日記です。

私は男で幼馴染は女の子、互いに男女を意識し始める前に交わしたものです。交換日記なんてもの、今では時代錯誤の代物となってしまいましたが、やはり手書きの文字が持つ温かみやすぐに返事がこないもどかしさなど、そういうものを感じられるという点では、今のコミュニケーションツールよりずっと心を揺さぶられるものだったと思います。

肝心の内容はというと、その日学校であった面白い話や習い事の話、晩ごはんに嫌いなおかずが出て食べ残したらお母さんに怒られた、なんていう他愛もないものがほとんどだったと記憶しています。

いったいどのくらいの期間やりとりがあったのかはもう定かではありませんが、成長とともに、いわゆる”多感な時期”に片足を突っ込んだころ、私が一方的に持ちっぱなしにしてしまって、交換を絶ってしまいました。

いま思えば、あれはお互い好意を持ちあっていた状態で、そのことがなんとなく恥ずかしくて、よくわからない気持ちのままに連絡をやめてしまったのでしょう。

その後は彼女に告白されることもなく、中学校と高校は違うところに進学しました。しばらくは年賀状も送りあっていましたが、喪中で私が年賀状を出せなかった年を境に、彼女からの年賀状も絶えてしまいました。

もしあの時交換日記をちゃんと返していたらどうなっていたのか、そのまま今も連絡を取り続けられていたのか、それともやはり、すぐに絶えてしまっていたのか。

のちに「小5 教科書ノート」と書かれた段ボールから出てきた小さな日記は、「こんどな、ピアノの発表会あるんやけど、きて!」で終わっていました。「うん!」と返せなかった自分よ、なんと情けない。

これからも大事にしていきたい絶対に捨てられない手紙

「手紙」という単語を聞くと、やはり1番に主人からもらった手紙のことを思い出します。

結婚式の当日にもらった手紙です。

結婚式は人生の中で1番の晴れ舞台と言っていいほど、自分が主役となれる大きな舞台です。

そんな日を迎え、緊張でガチガチになっている私に書いてくれた主人の手紙は、私の緊張をほぐし、この人と一生一緒に生きていくのだ。

という決意をあらたにしてくれる、とても貴重なものでした。

結婚式当日式場に入り、衣装に着替えて式が始まるのを待っていた時に、その手紙は突然私の手元にやってきました。

いきなり「これ読んどいて」と主人から渡された手紙に、正直戸惑いました。

「こんな状況で手紙なんて渡されて困る!」それが私の心の中の声でした。

ですが読み始めるうちに、そんなことを思った自分を恥ずかしく思い、後悔しました。

手紙には見慣れた汚い字で、今日は花嫁が主役だから心置きなく楽しみ、めいっぱい感動してほしいということと、これから夫婦として生きていく彼なりの決意が書かれていたのです。

そんなことについてこれまで一言も語ったことのない彼が、心の中でそんなことを考えたいたのかと、正直とても驚かされました。

式が始まる前から感動し、気持ちが高揚していったことをよく覚えています。

日頃から手紙なんて書いたことのない人が、自分に宛てて手紙を書いてくれたというだけで嬉しく、それだけ彼自身の中にも何か変化が生まれているのだと思いました。

結婚に対する自覚と決意をしっかりと固めてくれていることがわかり、本当に嬉しかったです。

嬉しかったのに、私は恥ずかしさで、「ありがとう」と一言だけ伝えるのが精一杯でした。

結婚してからはもちろん、手紙のやり取りなんてまったくありません。

ですが、だからこそ結婚式の直前に渡されたあの手紙が、貴重でとても愛おしい手紙でもあるのです。

人生の中には捨てれらない手紙がいくつかありますが、もちろんそんな中でもこの手紙は、絶対に捨てられない手紙です。

これからも大事にしていきますし、何かあるごとにあの手紙を読み直し、いろいろな壁を乗り越えるためのものになって欲しいと思います。

面と向かってはなかなか言えない気持ちも手紙だったら伝えられる

私が今までで一番心に残っているのは、父の日に送った手紙です。

それまで母の日や父の日にプレゼントを送ることはあっても、手紙を送るということはありませんでした。上京して親元を離れてもう何十年も経ちますが、母とは普段電話でよく話すことはあっても、父とは会話をするという時間はほとんどありませんでした。

そんな折、父の日が近づき今年は何をプレゼントしようかと考えていたところ、ふと「手紙を送ろう」と思い立ったのです。

父には子供の頃は本当にたくさん一緒に遊んでもらい、色々なところへ連れて行ってもらい、年頃になって少し距離を置いてしまいましたがそれでも成人するまで本当に様々なところで支えてもらいました。色々反発もしましたが、結婚して自分が子育てをするようになると、父への感謝の気持ちでいっぱいでした。

恥ずかしくて今まで直接はおろか一切伝えてこなかったこの気持ちを手紙にして送ろう。そう決心して便箋に思いを綴って手紙を書いたのです。思えばこれは私が初めて父へと宛てた手紙でした。

父の日にこの手紙を送り、その後父からは「ありがとう」という言葉は聞いていたけれど、その手紙についての感想は聞いたことがありませんでした。私も送っておきながら恥ずかしく、父に直接感想を聞くことができず、その手紙の存在は最近になるまですっかり忘れていたのです。

今年、父が急死しました。それまで病気などの兆候も一切見られず、子供達を連れて久しぶりに帰省をしたその翌週のことでした。

まさか亡くなるとは思わず、どうしてもっと父に感謝の気持ちを伝えておかなかったんだろう、ありがとうって言わなかったんだろう、そんな後悔でいっぱいでした。「またお正月にね」とそんな言葉が最後になるとは思いませんでした。

悲しみの中父の遺品の整理をしていたところ、父の机の引き出しに私からもらったあの手紙が大切にしまってあったという話を家族から聞きました。綺麗な箱に入っていたそうです。手紙を送って「ありがとう」としか言わなかった父でしたが、心の中ではとても喜んでくれていたのだとその時初めて解り、何とも言えない気持ちでいっぱいになりました。あの時素直な気持ちを手紙に書いておいて良かった。父に対しての感謝の気持ちは少しでも伝わっていたのかもしれない、そう思えたのです。

面と向かってはなかなか言えない気持ちも、手紙だったら伝えられます。今でもこの手紙のことを思うと涙が出ますが、思っていることは相手に伝えなければ後悔するという事が父からの最後の教えだったと思っています。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わる

社会人になって3年が経過した頃、実家に祖母から手紙が届いていると母から連絡を受けました。

祖母は5年前に他界していたので、何かの間違いかと思いましたが、実家へ戻る口実に利用されているのかと考えて、翌月に実家へ出向くことにしたわけです。母から手渡された手紙には、確かに祖母の筆跡と分かる読みにくい文字で書かれていました。

家族全員に対して1通ずつ送付されていて、末期癌の闘病中に病院経由で公益社団法人に依頼したことが後で分かりました。

祖母は私が大学在学中で、就職活動を始める頃に他界したので、就職先を知りません。にも関わらず、通信業界に就職して残業漬けの毎日を送っていることが書かれていました。

会社名までは入っていなかったものの、これから起きるであろう壁に立ち向かう方法をアドバイスするかのように、転職を考えた時に思い出す言葉が記されていました。

「退社する前にしか出来ないこと3つを考えて後悔しない決断をするように」というメッセージを見た時に、会社名というブランドで仕事をしていると分かりました。他の会社へ移動しても使えるスキルを育てなければ、目先の転職をしても意味が無いと気付いたわけです。

残業漬けの毎日を行っても、給料が対して上がらないことに嫌気が差していましたが、人脈作りや会社のスキルアップ補助制度を利用した資格取得をフル活用していないことに気づくキッカケとなりました。

新入社員が3年目にぶつかる壁を既に予感していたのか、孫の姿を予測して手紙でアドバイスを送ってもらえたことに感謝したわけです。

最終的に手紙を受け取ってから3年後に転職をすることになりますが、新入社員からの3年間とは異なり、濃い3年間を過ごして転職したことにより、大幅な収入アップに繋がりました。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わることを実感しました。

自分の字も見る機会が減ってきた時代に友人からの手紙

中学生や高校生になってからできた友人は、淡い青春の思い出の1ページに一緒に刻まれるだけに、とても大事な存在です。

ですが互いに故郷を離れ、いろいろな場所を転々としているうちにいつしか連絡が途絶え、疎遠になってしまった友人もたくさんいます。

そんな友人達に、なんとかして再会できればいいなと思っていた矢先、その中の1人の友人の母親にばったり再会したのです。

久々に帰省した田舎のコンビニエンスでばったりです。

嬉しいことに、友人のお母さんの方が私のことを覚えてくれていて、声をかけてくれたのです。

久々の再会に胸を躍らせながら、肝心な友人の近況を尋ねる、とやはり故郷から遠く離れた県外に住んでいました。

友人の母親と別れ際に、私が数十年ぶりに友人に会いたがっていることを、伝えてほしいとお願いしました。

するとそれから2週間ほど経過した時に、その友人から手紙が届いたのです。

私の現在の住所を知らないはずなのに、わざわざ実家に確認して手紙を書いてくれたのです。

久々に見た友人の字に、胸が高鳴りました。

なんでもスマホやパソコンで連絡を取り合う時代です。

他人の字はおろか、自分の字も見る機会が減ってきた時代なのに、友人の字を見ることができたのです。

友人の字を直筆の字を数十年ぶりに見ることができ、何とも言えないほどの懐かしさと感動を味わうことができました。

宛て名の字を見ただけでも感動モノでしたが、手紙の内容にもやはり感動させられました。

今は子供が小さく身動きが思うように取れないこと、でも私と同じように友人も私のことを思い出し、会いたいと思っていてくれたこと。

手紙には、友人の近況や胸の内が、ぎっしりとしたためられていました。

お互い会いたいと思っていたことに運命的なものを感じ、やっぱりこの人は大事な友人なんだなと、強く感じたことを覚えています。

それから2年後、お互いに同じ期間に帰省し、ようやく再会することができました。

スマホやパソコンのメールではなく、「手紙」という形でまた友人とつながることができたこと、それは自分にとってかけがえのない経験です。

忘れることができない退職した同僚の手紙と後ろ姿

約10年ほど前、ある方が職場を退職される時にとても温かいお手紙を頂いた事があります。

その方は以前は管理職をされていた方でしたが、その当時の日本社会全体の不況と会社の部署の統廃合に伴い、定年前の2年ほどを私と同じ部署で働く事になりました。

しかも職種が私と同じだったので、私の様な30歳ぐらい年下の者がその方を教える立場になってしまったのです。

今まで管理職だった方が私に指示されながら同じ仕事をするのはどんなにか大変だったと思います。

しかも不慣れなIT機器や今まであまり経験した事のないお仕事に戸惑ってミスを連発してしまう状況も見受けられました。

でも私はその方の豊富な社会経験や人柄の良さに敬意を抱いていました。

だからこそ忙しい時にも互いに助け合ってやって来られたのだと思います。

定年退職の日にその方は私にお手紙と小さなプレゼントを下さいました。

その手紙には、不慣れな自分をあなたは一度も怒らずに敬意を持って接してくれたと感謝の気持ちが書いてありました。

そんな事はないのです。とても忙しい時に仕事が滞りがちになってしまうその方に私は忙しさから冷たい態度で対応してしまった事もきっとあったと思います。

それでもその方はいつも優しく私を受け止めて、お仕事での良い人間関係を築いて下さっていました。

感謝をすべきはこちらなのにと泣きそうになりました。

そのお手紙を頂いてから、私は新人に仕事を教える時にもいつも相手への敬意を失わない様に心がける事にしました。

私自身もその職場を退職し、新しい仕事についてからもその方のお手紙と花束を持って去っていった定年退職の日の後ろ姿は忘れられません。

私が仕事を教えていたつもりでその方から多くの事を教えられていた事を、温かいお手紙と同時に思い返します。

教え子からの感謝の手紙

私が受け取った手紙の中で印象深いのは音楽教室の生徒さんからの手紙です。

私は音楽教室で講師をしているのですが、そこに音楽大学を受けたいと言う事である生徒さんがやって来ました。

音楽大学の受験にはかなりの準備期間が必要なのですが、生徒さんがやってきたのは高校三年生の夏休み前で音大受験にはギリギリの時期でした。

しかしどうしても大学で音楽の勉強がしたいという生徒さんの熱意に負けて、その日から夏休み返上で私と彼女とのマンツーマンでの猛レッスンが始まったのです。

音楽大学に入るにはピアノや声楽の他に音楽の基礎知識も問われます。それらを週に3回ほど一緒に勉強し、やっと冬にはある程度の準備が出来ました。

そして1月に実施されたある音楽学部のある私立大学の推薦入試に彼女は見事に合格したのです。

その時は私もとても嬉しく、彼女の大事な夢を叶えるお手伝いが出来た事で自分の仕事に誇りも感じました。

入学内定後に彼女はすぐにご両親と私の所にご挨拶にみえて、そのあと大学のある東京での生活へと旅立っていきました。

思いがけず手紙が届いたのは彼女が入学したその年の夏でした。とても可愛い便箋に綺麗な字で私に対する感謝の気持ちが綴ってありました。

春には卒業や新生活で忙しくて落ち着かず、私にゆっくり感謝の気持ちが伝えられなかった事も詫びてありました。

そして楽しい学生生活の様子や、やりたかった音楽の勉強の様子が生き生きとした文章で書いてあり、彼女の胸躍る様な気持ちが手に取る様にわかりました。

去年の夏、先生に出会えて自分の進路が開けた事が本当に良かったとその手紙には書いてありました。

出会いというのは本当に縁だと思うのですが、まだ20歳なのにこうした感謝の気持ちを手紙で表せる彼女の人柄が自分の道を開き、多くの人との出会いへと導いたのだとも思います。彼女からもらった手紙は今でも辛い時には私を勇気付けて、音楽を教える素晴らしさを教えてくれています。

落し物を届けたことから届いた手紙

私が大学生のとき、今から10年以上前の話です。

私は地方在住なのですが、あるとき東京で好きなアーティストのライブがあって、友人と二人で参加することにしました。

ライブは盛り上がり、気づけば新幹線の時間ギリギリになっていました。

私と友人は慌てて駅に向かい、あらかじめ預けていたロッカーから荷物を取り出しました。

すると、上の段から、ひらひらと千円札が落ちて来ました。

探ると、さらに千円札が10枚近くあるのがわかりました。

電車の時間もないし、どうしようと悩みましたが、お金はお金、駅員さんに預けることにしました。(この手続きが思った以上にかかり、新幹線に本当に間に合わなくなりそうになってちょっと後悔しました)

そして実家に帰った私ですが、およそ一月後、ハガキでお手紙を頂きました。

そこにあったのは、見知らぬ男性のお名前。
誰だろうと思いながら、とりあえず読むことにしました。

よくよく読んでみると、手紙の送り主はあの千円札の持ち主らしき人でした。
駅員さんを通じ、私の住所を教えてもらったとのことです。

そこには、拾ってくれてありがとうございました、どこに落ちていたか詳しいことを知りたい、ちゃんとしたお礼として、菓子折を送りたい。そんな旨のことが手書きで書いてありました。

しかし、当時の私は警戒心が高く、またずぼらだったこともあり、その人への返事をしないまま、今に至っています。

菓子折は断るにしても、ちゃんとお金を見つけた経緯や、手紙を送って頂いたことへの感謝などはきちんと伝えるべきだったなぁ……と反省しています。

当時世間しらずの若造だったとはいえ、これがなんらかの縁になったかもしれないと思うと、本当にもったいないことをしたと思います。

手紙の暖かみは特別だから

私には遠方に暮らす両親がいます。

私は幼い頃はいじめられたり内向的な性格だったんですが、父母の愛情で自分に自信が持てる様になり学生時代は積極的に楽しめる社交的な性格になっていました。

そんな私は幼い頃にいじめられていた反動からか、必要以上に気の強い性格になってしまいました。どんな時でも私を最大限支えてくれる両親に対しても、私は自分が病気をしたことを機にイライラして両親と喧嘩をしてしまいました。

仕事が休みとなれば必ず実家に帰っていたのに、結果、半年以上も実家に帰らないという状況になってしまいました。

父も母も私の性格をわかっているので、私からも特に連絡はしなかったし向こうからも連絡はしてきませんでした。

ですが妹を通して私の様子を母が聞いていた事は妹から聞き知っていたので『心配しているんだな』と分かっていたんですが意地を張り連絡できずにいました。

そんなある日、母から一通の手紙が来ました。

手紙には、母はなかなか子供ができずに親戚にイヤミを言われ辛かった中で、やっと私ができた時とても父と一緒に喜んだと事、私が無事に生まれた時のこと、私が幼き時いじめられていた時のこと、大人になってから夢だった仕事につけた時の事など事細かに書いていました私への愛情がたっぷり詰まった手紙でした。

そして母も大人気なくキツい一言を言って申し訳なかったと書いていました。それを見た時に、長い間無駄に意地を張っていた自分が本当に幼なかったと感じ恥ずかしくなり返事を書きました。

私は面と向かって絶対に言えない言葉でも、手紙にはスラスラ書けることを知りました。あんなに真剣に手紙を書いたのは初めてです。母はよく友達などに手紙を書いています。手紙の暖かみは特別だからだと今なら理解できます。