もしも、を考えさせられる懐かしい手紙

手紙と呼んで良いのか少しきわどいですが、私の心に強く残っているものは、かつて幼馴染と交わした交換日記です。

私は男で幼馴染は女の子、互いに男女を意識し始める前に交わしたものです。交換日記なんてもの、今では時代錯誤の代物となってしまいましたが、やはり手書きの文字が持つ温かみやすぐに返事がこないもどかしさなど、そういうものを感じられるという点では、今のコミュニケーションツールよりずっと心を揺さぶられるものだったと思います。

肝心の内容はというと、その日学校であった面白い話や習い事の話、晩ごはんに嫌いなおかずが出て食べ残したらお母さんに怒られた、なんていう他愛もないものがほとんどだったと記憶しています。

いったいどのくらいの期間やりとりがあったのかはもう定かではありませんが、成長とともに、いわゆる”多感な時期”に片足を突っ込んだころ、私が一方的に持ちっぱなしにしてしまって、交換を絶ってしまいました。

いま思えば、あれはお互い好意を持ちあっていた状態で、そのことがなんとなく恥ずかしくて、よくわからない気持ちのままに連絡をやめてしまったのでしょう。

その後は彼女に告白されることもなく、中学校と高校は違うところに進学しました。しばらくは年賀状も送りあっていましたが、喪中で私が年賀状を出せなかった年を境に、彼女からの年賀状も絶えてしまいました。

もしあの時交換日記をちゃんと返していたらどうなっていたのか、そのまま今も連絡を取り続けられていたのか、それともやはり、すぐに絶えてしまっていたのか。

のちに「小5 教科書ノート」と書かれた段ボールから出てきた小さな日記は、「こんどな、ピアノの発表会あるんやけど、きて!」で終わっていました。「うん!」と返せなかった自分よ、なんと情けない。

これからも大事にしていきたい絶対に捨てられない手紙

「手紙」という単語を聞くと、やはり1番に主人からもらった手紙のことを思い出します。

結婚式の当日にもらった手紙です。

結婚式は人生の中で1番の晴れ舞台と言っていいほど、自分が主役となれる大きな舞台です。

そんな日を迎え、緊張でガチガチになっている私に書いてくれた主人の手紙は、私の緊張をほぐし、この人と一生一緒に生きていくのだ。

という決意をあらたにしてくれる、とても貴重なものでした。

結婚式当日式場に入り、衣装に着替えて式が始まるのを待っていた時に、その手紙は突然私の手元にやってきました。

いきなり「これ読んどいて」と主人から渡された手紙に、正直戸惑いました。

「こんな状況で手紙なんて渡されて困る!」それが私の心の中の声でした。

ですが読み始めるうちに、そんなことを思った自分を恥ずかしく思い、後悔しました。

手紙には見慣れた汚い字で、今日は花嫁が主役だから心置きなく楽しみ、めいっぱい感動してほしいということと、これから夫婦として生きていく彼なりの決意が書かれていたのです。

そんなことについてこれまで一言も語ったことのない彼が、心の中でそんなことを考えたいたのかと、正直とても驚かされました。

式が始まる前から感動し、気持ちが高揚していったことをよく覚えています。

日頃から手紙なんて書いたことのない人が、自分に宛てて手紙を書いてくれたというだけで嬉しく、それだけ彼自身の中にも何か変化が生まれているのだと思いました。

結婚に対する自覚と決意をしっかりと固めてくれていることがわかり、本当に嬉しかったです。

嬉しかったのに、私は恥ずかしさで、「ありがとう」と一言だけ伝えるのが精一杯でした。

結婚してからはもちろん、手紙のやり取りなんてまったくありません。

ですが、だからこそ結婚式の直前に渡されたあの手紙が、貴重でとても愛おしい手紙でもあるのです。

人生の中には捨てれらない手紙がいくつかありますが、もちろんそんな中でもこの手紙は、絶対に捨てられない手紙です。

これからも大事にしていきますし、何かあるごとにあの手紙を読み直し、いろいろな壁を乗り越えるためのものになって欲しいと思います。