面と向かってはなかなか言えない気持ちも手紙だったら伝えられる

私が今までで一番心に残っているのは、父の日に送った手紙です。

それまで母の日や父の日にプレゼントを送ることはあっても、手紙を送るということはありませんでした。上京して親元を離れてもう何十年も経ちますが、母とは普段電話でよく話すことはあっても、父とは会話をするという時間はほとんどありませんでした。

そんな折、父の日が近づき今年は何をプレゼントしようかと考えていたところ、ふと「手紙を送ろう」と思い立ったのです。

父には子供の頃は本当にたくさん一緒に遊んでもらい、色々なところへ連れて行ってもらい、年頃になって少し距離を置いてしまいましたがそれでも成人するまで本当に様々なところで支えてもらいました。色々反発もしましたが、結婚して自分が子育てをするようになると、父への感謝の気持ちでいっぱいでした。

恥ずかしくて今まで直接はおろか一切伝えてこなかったこの気持ちを手紙にして送ろう。そう決心して便箋に思いを綴って手紙を書いたのです。思えばこれは私が初めて父へと宛てた手紙でした。

父の日にこの手紙を送り、その後父からは「ありがとう」という言葉は聞いていたけれど、その手紙についての感想は聞いたことがありませんでした。私も送っておきながら恥ずかしく、父に直接感想を聞くことができず、その手紙の存在は最近になるまですっかり忘れていたのです。

今年、父が急死しました。それまで病気などの兆候も一切見られず、子供達を連れて久しぶりに帰省をしたその翌週のことでした。

まさか亡くなるとは思わず、どうしてもっと父に感謝の気持ちを伝えておかなかったんだろう、ありがとうって言わなかったんだろう、そんな後悔でいっぱいでした。「またお正月にね」とそんな言葉が最後になるとは思いませんでした。

悲しみの中父の遺品の整理をしていたところ、父の机の引き出しに私からもらったあの手紙が大切にしまってあったという話を家族から聞きました。綺麗な箱に入っていたそうです。手紙を送って「ありがとう」としか言わなかった父でしたが、心の中ではとても喜んでくれていたのだとその時初めて解り、何とも言えない気持ちでいっぱいになりました。あの時素直な気持ちを手紙に書いておいて良かった。父に対しての感謝の気持ちは少しでも伝わっていたのかもしれない、そう思えたのです。

面と向かってはなかなか言えない気持ちも、手紙だったら伝えられます。今でもこの手紙のことを思うと涙が出ますが、思っていることは相手に伝えなければ後悔するという事が父からの最後の教えだったと思っています。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わる

社会人になって3年が経過した頃、実家に祖母から手紙が届いていると母から連絡を受けました。

祖母は5年前に他界していたので、何かの間違いかと思いましたが、実家へ戻る口実に利用されているのかと考えて、翌月に実家へ出向くことにしたわけです。母から手渡された手紙には、確かに祖母の筆跡と分かる読みにくい文字で書かれていました。

家族全員に対して1通ずつ送付されていて、末期癌の闘病中に病院経由で公益社団法人に依頼したことが後で分かりました。

祖母は私が大学在学中で、就職活動を始める頃に他界したので、就職先を知りません。にも関わらず、通信業界に就職して残業漬けの毎日を送っていることが書かれていました。

会社名までは入っていなかったものの、これから起きるであろう壁に立ち向かう方法をアドバイスするかのように、転職を考えた時に思い出す言葉が記されていました。

「退社する前にしか出来ないこと3つを考えて後悔しない決断をするように」というメッセージを見た時に、会社名というブランドで仕事をしていると分かりました。他の会社へ移動しても使えるスキルを育てなければ、目先の転職をしても意味が無いと気付いたわけです。

残業漬けの毎日を行っても、給料が対して上がらないことに嫌気が差していましたが、人脈作りや会社のスキルアップ補助制度を利用した資格取得をフル活用していないことに気づくキッカケとなりました。

新入社員が3年目にぶつかる壁を既に予感していたのか、孫の姿を予測して手紙でアドバイスを送ってもらえたことに感謝したわけです。

最終的に手紙を受け取ってから3年後に転職をすることになりますが、新入社員からの3年間とは異なり、濃い3年間を過ごして転職したことにより、大幅な収入アップに繋がりました。

未来に出す手紙の威力は、受け取る人次第で大きく変わることを実感しました。

自分の字も見る機会が減ってきた時代に友人からの手紙

中学生や高校生になってからできた友人は、淡い青春の思い出の1ページに一緒に刻まれるだけに、とても大事な存在です。

ですが互いに故郷を離れ、いろいろな場所を転々としているうちにいつしか連絡が途絶え、疎遠になってしまった友人もたくさんいます。

そんな友人達に、なんとかして再会できればいいなと思っていた矢先、その中の1人の友人の母親にばったり再会したのです。

久々に帰省した田舎のコンビニエンスでばったりです。

嬉しいことに、友人のお母さんの方が私のことを覚えてくれていて、声をかけてくれたのです。

久々の再会に胸を躍らせながら、肝心な友人の近況を尋ねる、とやはり故郷から遠く離れた県外に住んでいました。

友人の母親と別れ際に、私が数十年ぶりに友人に会いたがっていることを、伝えてほしいとお願いしました。

するとそれから2週間ほど経過した時に、その友人から手紙が届いたのです。

私の現在の住所を知らないはずなのに、わざわざ実家に確認して手紙を書いてくれたのです。

久々に見た友人の字に、胸が高鳴りました。

なんでもスマホやパソコンで連絡を取り合う時代です。

他人の字はおろか、自分の字も見る機会が減ってきた時代なのに、友人の字を見ることができたのです。

友人の字を直筆の字を数十年ぶりに見ることができ、何とも言えないほどの懐かしさと感動を味わうことができました。

宛て名の字を見ただけでも感動モノでしたが、手紙の内容にもやはり感動させられました。

今は子供が小さく身動きが思うように取れないこと、でも私と同じように友人も私のことを思い出し、会いたいと思っていてくれたこと。

手紙には、友人の近況や胸の内が、ぎっしりとしたためられていました。

お互い会いたいと思っていたことに運命的なものを感じ、やっぱりこの人は大事な友人なんだなと、強く感じたことを覚えています。

それから2年後、お互いに同じ期間に帰省し、ようやく再会することができました。

スマホやパソコンのメールではなく、「手紙」という形でまた友人とつながることができたこと、それは自分にとってかけがえのない経験です。