落し物を届けたことから届いた手紙

私が大学生のとき、今から10年以上前の話です。

私は地方在住なのですが、あるとき東京で好きなアーティストのライブがあって、友人と二人で参加することにしました。

ライブは盛り上がり、気づけば新幹線の時間ギリギリになっていました。

私と友人は慌てて駅に向かい、あらかじめ預けていたロッカーから荷物を取り出しました。

すると、上の段から、ひらひらと千円札が落ちて来ました。

探ると、さらに千円札が10枚近くあるのがわかりました。

電車の時間もないし、どうしようと悩みましたが、お金はお金、駅員さんに預けることにしました。(この手続きが思った以上にかかり、新幹線に本当に間に合わなくなりそうになってちょっと後悔しました)

そして実家に帰った私ですが、およそ一月後、ハガキでお手紙を頂きました。

そこにあったのは、見知らぬ男性のお名前。
誰だろうと思いながら、とりあえず読むことにしました。

よくよく読んでみると、手紙の送り主はあの千円札の持ち主らしき人でした。
駅員さんを通じ、私の住所を教えてもらったとのことです。

そこには、拾ってくれてありがとうございました、どこに落ちていたか詳しいことを知りたい、ちゃんとしたお礼として、菓子折を送りたい。そんな旨のことが手書きで書いてありました。

しかし、当時の私は警戒心が高く、またずぼらだったこともあり、その人への返事をしないまま、今に至っています。

菓子折は断るにしても、ちゃんとお金を見つけた経緯や、手紙を送って頂いたことへの感謝などはきちんと伝えるべきだったなぁ……と反省しています。

当時世間しらずの若造だったとはいえ、これがなんらかの縁になったかもしれないと思うと、本当にもったいないことをしたと思います。

手紙の暖かみは特別だから

私には遠方に暮らす両親がいます。

私は幼い頃はいじめられたり内向的な性格だったんですが、父母の愛情で自分に自信が持てる様になり学生時代は積極的に楽しめる社交的な性格になっていました。

そんな私は幼い頃にいじめられていた反動からか、必要以上に気の強い性格になってしまいました。どんな時でも私を最大限支えてくれる両親に対しても、私は自分が病気をしたことを機にイライラして両親と喧嘩をしてしまいました。

仕事が休みとなれば必ず実家に帰っていたのに、結果、半年以上も実家に帰らないという状況になってしまいました。

父も母も私の性格をわかっているので、私からも特に連絡はしなかったし向こうからも連絡はしてきませんでした。

ですが妹を通して私の様子を母が聞いていた事は妹から聞き知っていたので『心配しているんだな』と分かっていたんですが意地を張り連絡できずにいました。

そんなある日、母から一通の手紙が来ました。

手紙には、母はなかなか子供ができずに親戚にイヤミを言われ辛かった中で、やっと私ができた時とても父と一緒に喜んだと事、私が無事に生まれた時のこと、私が幼き時いじめられていた時のこと、大人になってから夢だった仕事につけた時の事など事細かに書いていました私への愛情がたっぷり詰まった手紙でした。

そして母も大人気なくキツい一言を言って申し訳なかったと書いていました。それを見た時に、長い間無駄に意地を張っていた自分が本当に幼なかったと感じ恥ずかしくなり返事を書きました。

私は面と向かって絶対に言えない言葉でも、手紙にはスラスラ書けることを知りました。あんなに真剣に手紙を書いたのは初めてです。母はよく友達などに手紙を書いています。手紙の暖かみは特別だからだと今なら理解できます。

入院してしまった祖父への手紙

私は普段手紙など滅多に書かないのですが、今から五年ほど前に祖父に初めて手紙を書いたことがありました。手紙を書いた理由は当時、祖父が体調を崩し倒れてしまったからで、一ケ月ほどの入院生活中に少しでも元気づけることができればと手紙を書いたという訳です。

ただそれまで祖父には手紙どころか面と向かって真面目な話をしたこともなければ感謝を伝えたことさえありません。ですから手紙を書こうと決めたは良いものの、何を書けばいいのか分からず、結局は早く体調が良くなって退院できることを願う文章と、私の日常を報告することくらいになってしまいました。

ですが書いている時には幼い頃から可愛がってもらった祖父との思い出がよみがえり、心から元気になってほしい、早く退院してまた一緒にご飯を食べに行ったりドライブに行ったりしたいと思っていたので、手紙の内容はともかくとして我ながら気持ちだけは込めたつもりです。

それに祖父は入院するまですごく元気で、仕事もまだ現役でしたし、休日のたびに趣味の釣りに出かけたりとするくらいだったので、私自身、祖父が倒れたと聞いた時には本当に驚いたものです。そして入院となってからも何度もお見舞いに行き、どこか元気のない祖父の姿を見て、胸が痛んだのも事実です。

こうした背景があったため、手紙を書いている時にはいろいろと考えさせられましたし、あらためて祖父ももうそんな年齢だったんだなと実感したわけです。

そして入院中の祖父に手紙を渡し、とても喜んでもらうこともでき、おまけにその後しばらくして無事退院することもできたのです。

そんな祖父は今ではすっかり元気で、私が送った手紙を大事に取っておいて、私が祖父の家へ遊びに行った時にはいつもその手紙を見せてくれるのでした。

手紙でしか伝えられないこと感じられないこと

私には長い間疎遠になっていた親友がいます。

大学に通っていた間は本当に毎日一緒にいて姉妹というよりも自分の分身のような感じで何をするにも一緒に過ごしていた友人でした。
ですが卒業間際、私も彼氏と離ればなれになる事もありナーバスになっていて、友人が冗談半分で口にした事が私の逆鱗に触れ大喧嘩をしてしまいました。

そのまま卒業し彼女は地元に戻りましたから連絡が一切途絶えました。

風の噂で彼女が結婚して子供を産んだという話は聞いていたんですが、お互いに住所は知らなかったので、やり取りはなく私も『おめでとう』の一言が言えずにずっと心に引っかかっていました。

そんなことを考える様になってから、共通の友達からこんな電話がありました。その友人が私と連絡を取りたいと言っているとのことでした。

私はすごく悩みましたが電話で話すのは何かまだ気が引けて、手紙ならいいよということを承諾し共通の友達に私の住所を託しました。

それから1か月ほどして疎遠になっていた親友から一通の手紙が届いたのです。その手紙には旦那さんと子供と一緒に写った家族写真が同封されておりました

彼女の顔を見た瞬間、私は学生時代のことが一気に蘇ってきて不思議と涙が溢れてきました。手紙というものは高校以来書いてもいなかったしもらったこともなかったんですが「手紙っていいな」と思いました。

電話や直接会った時に言えないことも字に表すと素直に書けるものですね。私もすぐに返事を書きました。今まで気になっていたことや些細なことで怒ってしまったこと…それに関して素直に謝ることができました。

それから更に2ヶ月ほどして私たちは直接電話で話し、会う約束もしました。これを機に手紙の素晴らしさを実感することができて今の時代はメールで済ませがちですが、手書きの手紙を書くことを最近始めました。

遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取り

手紙で一番思い出深いのが遠距離恋愛していた20代中盤の頃のことです。

当時は今のように携帯電話やパソコンなんてない時代です。

遠く離れた彼氏と連絡を取るには固定電話か手紙しかありませんでした。

最初は電話中心で連絡を取り合っていたのですが、電話代が1ヶ月分の給料並みにかさんでしまって、控えるようにしました。

その代わりに手紙を書くようになり、最低でも週に2、3回は手紙を書いてはせっせと送っていました。

手紙を書くようになった頃はラブレターのような相手に対する好きだという気持ちや、早く会いたいとかそばにいなくて寂しいなどというロマンチックな内容でした。

しかし、さすがに週に2回も3回も手紙を書いていると、ラブレター的な内容だけでは書くネタに困るようになってきます。

だんだんと日常のことや近況報告を盛り込むようになり、時には恋のポエムなんかも書いていたのを思い出します。

今思えばよくあんな小っ恥ずかしい手紙を何通も出していたなと、穴があったら入りたくなるような気持ちです。

ただ、相手に対する気持ちを手紙に込めたいという思いは強かったです。

電話での会話が減った分、自分の気持ちをしっかりと手紙で伝えたいと思っていつも手紙を書いていました。

その反面、あまり気持ちを押し付けると彼氏に負担をかけるのではないかとか、手紙1通書くのでも頭を悩ませていたのを思い出します。

残念ながら、遠距離恋愛の彼氏とはハッピーエンドを迎えられませんでしたが、手紙に気持ちを込めて書くという手紙の大切さを一番感じていました。

今はメールなどが普及してめっきり手紙を書く機会は減りましたが、たまに届く友達や親類からの手紙には温かみを感じてうれしくなります。

そんな手紙の良さを知ったのも遠距離恋愛していた頃の手紙のやり取りがあったおかげだと思っています。

修学旅行先からの家族へのそっけない他人行儀な手紙

小学校六年生のときに修学旅行先から家族に手紙を出すというスケジュールがあり、子供たちがみんなそれぞれ親や兄弟に手紙を書くことになりました。

私も両親に送ったのですが、何しろ毎日顔を会わせている両親で、それまで手紙を送ったことなど一度もありません。ですから子供心になんとなく照れくさかったのを大人になった今でもはっきりと覚えています。

ですのでたかが十数行の手紙を書くだけのことなのにすごく時間がかかったものでした。きっと周りの友達も私と同じようなものだったでしょう。ですが修学旅行先からの手紙なので書く内容についてはいくらでもあります。そんなわけでその日どこを観光して、何を食べてどんなことをして遊んだかといった内容を手紙に書きました。

ただもちろん小学生の書く手紙なので拙い文章でしたし、手紙というより修学旅行の報告書のような感じになってしまいましたが、とにもかくにもこれが初めて両親に書いた手紙だったのでした。

こうして報告書のような手紙の最後に、とってつけたように私は元気ですけどそっちはどうですかと書いたのもよく覚えています。今から思えばもっと他に言いようがあっただろうと思うのですが、当時の私としては両親に元気ですかと聞くだけでもものすごく恥ずかしいものだったので、かなり勇気を振り絞ったつもりです。

こうして思春期特有の照れくささが先に立ち、どことなく他人行儀な手紙が出来上がったのですが、実際のところ小学校六年生の修学旅行は一週間もあり、それだけの長い期間親元から離れたことなど、少なくとも私は一度もありませんでした。

ですから照れくささと同時にホームシックに似た感情も確かにそこにはありました。でも早く家に帰りたいなど手紙に書くのも子供ながらにプライドが許さず、随分とそっけない手紙を送ることになったのでした。

毎年父の日に手紙をくれる娘はいつまでも

私が今までもらって一番嬉しかった手紙は、娘から初めて届いた父の日の手紙です。

当時私は家族と離れ、シンガポールで駐在生活を送っていましたが、その手紙は娘が小学校1年生の年の父の日に学校で作ってくれた作品と一緒に海を越えて届きました。

そこには覚えたばかりの大きなひらがなで、「だいすきなおとうさんいつもありがとう。からだにきをつけてこれからもおしごとがんばってね。」と書かれてありました。

それまでも娘は絵を描いてくれたり、まだきちんと文字にはなっていない記号のようなもので「はい、手紙!」と言って私に渡してくれることはありましたが、きちんとした手紙はそれが初めだったので、正直ものすごく感動しました。

その手紙を読みながら、読み書きが出来るようになった娘の成長や、私のことを思って書いてくれたであろう娘の言葉に胸がいっぱいになり、気づけば私はその手紙を持ったまま泣いていました。

このときの感動は妻から娘に話してくれていたようで、自分が書いた手紙で私がこんなにも喜んでくれた、ということが娘は何より嬉しかったようです。

それをきっかけに学校でおこったことや、妻と休みの日に出掛けたこと、娘が大切に世話している花がやっと咲いたことなど、日常のちょっとしたことを手紙に書いて送ってくれるようになりました。

その後、私は帰国し、それを機に娘から手紙が届くこともなくなってしまいましたが、それでも毎年父の日だけは今でも手紙を書いて渡してくれます。

当時小学1年生だった娘は現在高校生になります。

これがなかなか難しい年頃で、普段はゆっくり話す機会もなくなってしまいましたが、毎年父の日に手紙をくれる娘の素直で優しいところはいつまでも変わらずにいて欲しいなと思います。

夫との15年前の甘酸っぱい手紙のやりとり

もう15年以上前になりますが、夫と付き合っていた当時、私は夫に宛ててよく手紙を書いていました。

今ではスマートフォンが主流になり、ちょっとした連絡はlineのメッセージで済ませてしまうことがほとんどですが、当時はあってもポケットベルくらいなもので、手紙を書くというのはその頃の私にとっては極々ありふれた生活の一部でした。

先日家の中で片付けものをしていたときに、その時に夫に宛てて書いていたたくさんの手紙が思いがけない場所から出てきました。

結婚してからもその手紙の存在は知っていたし、なんだかおかしな話ですが、捨てずに取っておいたのも夫ではなく私です。

ですが改めてそれらを読み直したことはなかったので、ちょっと恥ずかしいような甘酸っぱい気持ちでしたが、それらの手紙を一つ一つ開き読み直してみました。

そこには20歳そこらのぴちぴちした私がおり、夫への溢れる想いが若い字体で書き綴ってありました。

ある手紙には一緒に見たかった映画を夫と二人で見られて嬉しかったこと、またある手紙には夏休みの旅行の計画、また彼の部屋に残してきた置手紙のようなものまでありました。

それらの手紙を読んでなんだか当時を思い出してキュンとしてしまい、夫にそのこと伝えました。

珍しく夫もそれらの手紙を見たがったので、その後また二人で一緒に読み直しましたが、二人ともがやっぱり手紙って良いなと感じていました。

キレイな便箋を選び、相手のことを考えながらペンを走らせ、思いを綴る。

今ではなかなか書かなくなってしまった手紙ですが、たまにはスマートフォンの電源を切って、付き合っていた頃のような気持ちで夫に手紙を書いてみるのも悪くないなと思いました。

林間学校の夜の母からの手紙

手紙と聞いてまず一番に思い出すのが、小学校5年生の林間学校の夜に母から届いた手紙です。

私も年をとり、もう20年以上も前の話になってしまいましたが、その手紙に書かれていた母の美しい文字やそれを読んで溢れ出た母への思いは今でも鮮明に覚えています。

当時私の通っていた小学校は5年生になれば林間学校と言って、親元を離れて生徒と先生だけで宿泊する訓練合宿のようなものがありました。

それまでは毎年1泊2日で行われていましたが、私たちが5年生になった年から5泊6日という子供にとってはかなり長い日程に変更になりました。

私は思春期の入り口に差し掛かっており、親の前では余裕を見せていましたが、正直出発前は夜トイレに一人で行けるかな、6日も家族に会えないなんて寂しくて泣いてしまわないかな、と不安でたまりませんでした。

それでも行ってしまえば皆でキャンプファイアーをしたり、飯盒炊爨をしたり、皆で大きなお風呂に一緒に入ったり、楽しい時間を過ごしていました。

そんな楽しい林間学校も中盤に差し掛かった夜に、子供たちが誰一人予想もしていなかったタイミングで親からの手紙を受け取ることになりました。

先生がお父さんお母さんからの手紙を預かってきてるよ、と言って私たち一人一人に手紙を配ってくれたのです。

それまでにぎやかだった部屋は静まりかえり、笑い声はすすり泣きの声に変っていました。

私も母からの手紙を読んで涙が止まりませんでした。

そこには何か困っていることはないか?元気にしているか?

一回り大きくなって帰ってくる私のことを家族皆楽しみにして待っているからね。というようなことが書かれてありました。

この時のことを思い出すたびに、母はもちろん、素晴らしい企画をしてくださった学校の先生方にも感謝の気持ちでいっぱいになります。

短歌が添えられた友人からの最後の手紙

年賀状を自ら書かなくなって5年ほど経過した時に、高校時代の同級生から突然年賀状が届きました。高校卒業から既に10年以上経過していたので、現在の住所ではなく実家に届いたわけですが、確かに高校時代は同じ吹奏楽部に所属していて仲が良かったことを思い出しました。

弟からのメールで年賀状が届いていると連絡が来たわけですが、実際に年賀状を確認出来たのはゴールデンウィークに帰省した時です。

懐かしく思い、卒業アルバムを引っ張り出して届いている年賀状の住所と照らし合わせてみると、旧友の住所に変わりないことを確認して地元に残っている友人経由で近況を確認すると、既に年賀状をくれた旧友は他界していることが判明したわけです。

既に結婚していて家族がいたことも驚きましたが、今まで年賀状が届いていなかったにも関わらず急に届いた理由として、最後の年賀状だったからだとその時に知ることになりました。年賀状が届いた3ヶ月後に脳腫瘍により他界するに至ったわけですが、他界する前に会いに行けなかったことが悔やまれました。

そこで、旧友の家を知る友人と共に訪れると、確かに既に他界している事実がそこにはありました。初めて会う旧友の妻は、実家に帰らず子供と共に同居を続けており、年賀状を出した時の様子を聞けました。

年賀状の文面には、短歌が記されていたので、一度手術を受けたリハビリとして毎日短歌を考えて年賀状として出すことにしていたと知りました。1枚の年賀状は、特別写真がカラフルに印刷されているわけでもなくシンプルなものですが、暫く途絶えていた年賀状が届いた時には虫の知らせであったり、予兆が含まれていると考えて近況を確認することも大切だと実感したわけです。